※ この話は 小説32 の後日談です。
「デンジくん。あの、そろそろ洗濯物を取り込まないと……」
「まだ乾いてねーだろ」
「もう乾いてるよ。お外がこんなにカンカン照りなのに」
「じゃああとで」
「夕方になったら湿気るでしょ」
「湿ったらもっかい干しゃいーじゃん」
「もう……」
後ろから腰へ回された腕がいっこうに緩む気配を見せない。ソファの上で背中から抱え込まれて、もうかれこれ二十分はこのままだ。最初はかわいいなあと思っていた。五分を越えたあたりでも、まだかわいかった。十分を過ぎたあたりで困惑する気持ちが湧いてきて、二十分になった今は、かなり困っている。
困っているのだけれど、嫌ではない。むしろ死ぬほどうれしい。けど……。
「……デンジくん」
「ん」
「そんなにくっついて、楽しい?」
「楽しい」
ああ、かわいい。好き。世界で一番かわいい。二十歳になって腕も逞しくなったし、背も伸びたし声も少し低くなったけれど、こういうことを当たり前みたいに言うところは昔のまま。かわいい。かわいいな。たべちゃいたいな、頭から。
胸の中から大小さまざまなハートがぽこぽこ湧き上がって、そのまま部屋中を埋め尽くしそうになる。実際に見えていたら、今ごろデンジくんはハートの濁流に呑まれて窒息してるだろうな。想像してくすくす笑った。
「副隊長、耳赤い」
「赤くないよ」
「赤いって」
「今日はちょっと……暑いから」
「クーラーついてんじゃん」
「私冷房に弱いから、身体が寒さに対抗しようとして熱を作ってるのかも……」
「どーゆー理屈だよ。えい」
「わっ!」
耳たぶを指で摘ままれて思わず肩を竦めた。その反応がおもしろかったらしく、今度は頬をつつかれる。
「おー、顔も赤い」
「やだ、言わないで」
「なんで?」
「なんでも」
「俺にくっつかれて照れてんの?」
「……ちがうよ」
「じゃあもっとくっついていーの?」
「それは……わあああああ!!」
返事に詰まった隙に、腰を掴まれて身体ごと引き寄せられた。背中がぴたりと胸板に重なる。耳のすぐ後ろでデンジくんが笑った。
「もっと赤くなった」
「デンジくん!」
振り返ろうとしたら顎を掴まれた。そのまま頬へ唇を押しつけられる。一度。二度。三度。わざと音を立てる、子供みたいなキス。
「ちょっ、ちょっと待って。待って待って」
「なんで」
「だって……」
「嫌?」
「嫌じゃない!」
反射的に叫んでから、しまったと思った。デンジくんがにやりと悪い顔をする。
「じゃあいーじゃん」
「よくない。や、よくないことはないけど……」
「どっちだよ」
「そうじゃなくて……その……」
言葉にするのが恥ずかしくて、膝の上で両手を握り合わせた。
「わ、わたし、もうあらさー……」
「知ってる」
「だ、だから。デンジくんはまだ若いんだから。もっと若くて、かわいくて、同じくらいの年の子にしなよー……」
「なんで?」
「なんでって、普通そうでしょ……。わざわざこんなに年上の女なんか選ばなくても」
「その年上の女がいーんだけど」
「……昔から年上趣味だもんね」
「なんか言った?」
「別に」
別に拗ねてるわけじゃない。これはほんと。多分、多分ね。
「……今は私もまだ二十代だから、そう思ってるだけかも」
「今そう思ってんならそれでいーじゃん。先のことなんか誰も分かんねーって」
「あとで後悔するかもしれないでしょ。若い子と付き合えばよかったって」
「副隊長も後悔してんの?」
「へ?」
「俺じゃなくて、もっと年上で金持ってて、頭いい男にすりゃよかったって」
そんなわけがない。思った瞬間、口が勝手に動いていた。
「しないよ! デンジくんより好きな人なんて、この先絶対に出来ないよ……」
「じゃあ同じじゃん」
「……同じ、かなあ」
「同じだろ」
あっさり言い切られてしまった。デンジくんは私の肩へ顎を載せて、横から顔を覗き込んでくる。
「つーか副隊長、俺より若い男にモテたいの?」
「へ? な、なんで」
「やたら歳のこと気にするから」
「そういう話じゃないよう、女の子は若い方がいいんじゃないかなって話で……」
「若い奴に言い寄られたら、そっち行く?」
「行かない」
「じゃあいーじゃん」
「でも、デンジくんは」
「俺も行かねーよ」
どうしてそんなに簡単に言えるんだろう。
「……若くて胸の大きい子が来ても?」
「副隊長にも胸あんじゃん」
「私よりもっと大きい子。ちゃんとたぷたぷする感じの子」
「別にデカけりゃいいってもんでもねーし。……たぷたぷはしてほしいけど」
「かわいくて、料理が上手で、性格も良くて」
「副隊長だってかわいいし、飯も最近は食える味になったし、性格は……」
「ちょっと」
「性格はまあ、俺も人のこと言えねーし」
フォローになってない。
「俺、副隊長が思ってるより、副隊長のことが好きだよ」
「……ん」
「若いとか年取ってるとか、そーいうの込みで好きなんじゃなくて。副隊長だから好き。分かんねーの?」
「分かんない……」
「なんでだよ」
「そ、そんなの……まともに考えられない」
だって考えれば考えるほどうれしすぎちゃうから。目の奥が熱くなる。泣くつもりなんてなかったのに、一度瞬きをしたら涙が頬を伝った。
「お、おい。なんで泣くんだよ!」
「分かんない。うれしいから」
「うれしくても泣くの?」
「泣くよ。大人は複雑なんだもん」
「面倒くせェなあ」
そう言いながら、デンジくんは腕をほどかなかった。むしろさっきより強く抱き締めて、濡れた頬へ何度もキスをしてくる。犬が顔を舐めるみたいなキス。
「三十路でもですか……」
「三十路でも」
「そのうち四十路になるよ」
「俺も三十路になんじゃん。んでそのうち四十路になって後輩にアラフォーですねとか言われるんだろ」
「どれだけ先の話してるの……」
「2000……2026年とか?」
「先のこと過ぎて分かんないよ」
「じゃあ副隊長が四十路になんのも先の話じゃん」
「……あっという間に皺も増えるし、髪だって白くなるかも」
「染めりゃいーだろ。つーか白くても別によくね?」
「おばあちゃんになっちゃう」
「そん時は俺もオッサンだろ」
「だけどさ……デンジくんは歳を取らないかもしれないでしょ」
だって君は武器人間なんだから。肉体の成長はした。けれど老化はどうだろう。
「じゃあ副隊長がおばあちゃんになっても、俺が今のままでも、俺が面倒見りゃいーじゃん」
「……それは私がやだ」
「はァ!? なんで!」
「おばあちゃんになる前にどっかいく! ……せめてアラフィフ! 美魔女の域を出ないまま消えるーっ!」
そもそも、アラフィフまで生きられるかもわからないけど。呟いたら額と額がぶつかった。デンジくんが頭突きしてきたのだ、ということに気づくまで数秒。近すぎて、デンジくんの顔がぼやけて見えた。
「副隊長が俺のこと死ぬほど好きなの、知ってる」
「あ……う、うん」
「俺も副隊長のこと、死ぬほど好き」
目の奥がちかちかして、何故だか2年前のことが浮かんだ。アキくんのお葬式のこと。
「次俺が嫌な気持ちになること言ったらキスする」
「なにそれ……罰になってないよ」
「じゃあ泣くまでキスする」
「それも……たぶん、ご褒美」
「なんだよ。じゃあどうすりゃいーんだよ」
困った顔がかわいくて、とうとう笑ってしまった。好き。大好き。笑った顔も、怒った顔も、困った顔も、全部好き。胸の中から溢れ出したハートが、今度こそ部屋を壊してしまいそう。
「デンジくん」
「ん?」
「私、君のことが大好き」
「ん……知ってるって」
「世界で一番好き」
「それも知ってる」
「顔も、声も、手も、髪も、全部好き。ずっと触ってたいし、毎日一緒に寝たいし、朝起きたら最初に顔を見たい。ご飯も一緒に食べたいし、洗濯物も一緒に畳みたい。百歳になっても好き……大好き」
「お、おう」
「……ねえ、絶対だよ。若い女の子のところになんて行かないでね。私だけ見て。ずっと私のそばにいて。絶対、絶対に」
「……副隊長の方が重くね?」
「今さら気づいたの? だから必死に隠してたのに、デンジくんがこじ開けるから!」
だから君が全部悪いんだよ。デンジくんの顔が途端に赤くなる。さっきまで私をからかっていたくせに、真正面から好きだと伝えるとすぐにこれだ。かわいい。かわいいかわいい。大好き。
「デンジくん、キスして」
「……おう」
「いっぱい」
「泣くまで?」
「うん。泣くまで」
抱き締められたまま唇が重なる。洗濯物を取り込めたのは、日が沈んでからだった。
* * *