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全 31,417 文字

よく夢を見る。幼少期の夢である。

 子供のころの私には家族が居て、ちゃんと居場所があって、庇護してくれる人間がいた。私は食卓のお誕生日席に座って、頭上で喋っている両親と姉の顔を見上げている。大人が喋っていることは分からないけど、皆が笑っているから私も真似して笑う。示唆的な夢だ。やがてウェイターが料理を運んできて、私はそれを見てこんな風に思う。

「この料理の話でなら、みんなの関心を引けるかも」

 そうしてクローシュの蓋を開けた瞬間に、たちまち夢は覚めてしまう。

 最初のうちはその意味を深く考えたりもしたが、ここ最近は別段どうでも良くなってその理由を考えるのもやめた。所詮は夢だ。心理士にかかるわけでもなし、思い悩んだところで先は短いのだから意味はない。

 一人の夜が怖い。

 公安本部には夜勤組の為に仮眠室というのがあって、そこそこ広くて一通りの寝具も揃っているのだけれど、使用率は低い。理由は単純で、奥まってアクセスがしにくい場所にあるから。『使いにくい仮眠室を態々使うくらいならちょっと頑張って自宅で寝る』というのが皆の総意で、好きこのんでこんな場所に入り浸っているのは私くらい。

 その夜も当然のように一番奥のベッドで膝を抱えていた。消灯後の仮眠室の、非常灯の緑がかった明かりがまぶしい。目を閉じるとさっきの夢の続きが瞼の裏に居座るから、しばらくそうしてぼうっとしていた。考えても仕方のないことを考えるのはたぶん暇だから。

 頭の中に居座る映像を消すためにテレビで見たゾウのかわいい赤ちゃんのことを考えていたら、廊下の方で足音がした。こんな時間にこんな奥まで来る人間はいないので警備の見回りかと思って半分身を起こす。

「……わ! めずらし!?」

 引き戸が開いて、入ってきたのはアキくんだった。目の下にうっすら隈がある。

「そっちこそ。……日勤じゃなかったか?」

「や、私はたまたま」

「へえ……」

 訝しげな顔をしてはいるが、面倒なのか詮索はしてこない。アキくんはベッドの端に腰を下ろして、面倒くさそうに前髪をかき上げた。確かアキくんは、ちょっと手のかかるバカっぽい私が好き。しゅぴんと眉毛を釣り上げて、わざとバカっぽい顔になる。

「んむぅ。外泊したらデンジくんとパワーちゃん心配するんじゃない?」

「心配するもなにも、その二人から逃げてきたところだ」

「ほお?」

「最近深夜に面白い探偵ドラマをやってるとかで、毎晩パワーが暴れるから眠れない」

「はあ……左様ですか。苦労してるね、まるで思春期の子供を持つ父親のようだよ」

 家の騒がしさから逃げてきた先が職場の仮眠室だというなら随分と世知辛い。アキくんはまだ20代になりたてのはずだけど、こうしているとなんだか中年の父親みたいだ。よよよ。

「ん~でも……そういう事情ならビジホとかの方がいいんじゃないかなあ。流石に仮眠室でがっつり寝るのは体に悪いと思うよ?」

「いや、今日で最終回らしい。今日限りだから、いい」

「そういう問題かなあ……」

 というかむしろ、今日までよく耐えたなと思った。普段から比較的声量の大きいパワーちゃんが大騒ぎしているとなると、相当にうるさそうだけど。

「そういうお前はなんでわざわざ仮眠室で寝てる」

「わたし?」

 こちらに振られて、少し口ごもった。

「……や。なんか、一人で寝るのが嫌で。公安だったら最悪ロビーにでも行ったら夜勤組なり警備員さんなり誰か居るでしょ」

 昔はそういう夜には女の子なり男の子なり誰彼構わず捕まえて共寝をしていたけど、最近は立場が出来てしまったのでそういう訳にもいかない。はっきり言って窮屈だ。とはいったって自制しているというだけなので、誰に縛られてるわけでもないのだけれど。

「……家にはマトモに帰ってるのか」

「なに、父親みたい」

「真面目に」

「そりゃお風呂入らなきゃだし帰ってるよ? てゆーか、今日は昼間は家から出なかった……」

「はあ? 見回りは」

「あ、や、見回りはしたけど……えっと、それで、した上で、帰った上でスーツ着直して、ここ、きてる。さみしーんだもん」

「……お前、本気で大丈夫か?」

「抱きついていい?」

「やめろ」

 本気だったわけじゃないのに、きっぱり拒まれるとそれはそれで傷付くもので、私はわざとらしく口を尖らせてめそめそする真似をした。

「……なんかさ、ヤ~な夢見るから家で一人で寝るのはヤダなっていう切ない心情もあったりして。私可哀想でしょ?」

「……それは、まあ」

「前はそういう時姫野先輩に面倒見て貰ってたけど、死んじゃったし」

「……」

「さみしいね」

 ここで「じゃあ俺の家に来ればいい」とか軽率なことを言い出さないあたり、もうほんとに家庭を持つ父親って感じだ。大抵の男の子はここで「それなら俺が!」なんて言い出すものだけど。アキくんは組んだ腕をほどきもせず、困ったふうに黙っている。

 少し考えた。

「ねえ、逃げて来たところ悪いんだけど、私の子守りしてくれる? お話聞いて」

「は? 断る。ろくな予感がしない。というかもう寝かせてくれ」

「ちょっとは悩めよ。アレならそのあと安眠できるようホテル代出すから」

「断る! 余計なお世話だ、俺はここでいい!」

「おねがい! 姫野先輩が話聞いてくれなくて爆発しそうなの!」

 アキくんが黙り込んだ。ずるいとは自分でも思う。死んだ人の名前を出せば無下にできないことを分かっていて使ってるのって、控えめに言って最低だ。

「ね、ね。アキくんってさ、たしか孤児院の出だよね」

「……ああ」

「昔のバディに聞いたけど……孤児院とか一時保護所って、別にあんまり、その……職員がプロって感じじゃないらしいね」

「……まあ。なりたくてなったわけじゃない人も大勢いただろうしな」

「へえ?」

「明言はしないがそういう雰囲気だった」

「アキくんも嫌な思いした?」

「昔のことを振り返るつもりはない」

「そのつもりなくても、夜に昔のやなこと考えて眠れなくなったりしないの」

「……ならない」

 声にわずかに固いものが混じった。私はベッドの縁に頬杖をついて非常灯の緑を眺めたまま続ける。

「……にゅー。アキくんに言っても仕方ないことだったかも。困らせてごめん」

「おい、どこに……ここで寝るんじゃなかったのか」

「当てはあるから大丈夫。ちょっと気が乗らなかっただけで」

 冷静になってみたら、ただでさえ育児で疲れてるだろうに一方的に愚痴って悪いことしちゃったな。今度なにかお詫びしないとかなあ。なんてことを、電話帳の履歴を漁りながら考えた。本当は女の子の方がよかったけど、こういう落ち着かない日は男の子に頼ることに決めている。適当に対価さえ払っておけば、後腐れが無くて楽だから。

「今日からしばらく、デンジくんの面倒を副隊長に見て貰います」

「は?」

「早川くんから聞いたんだけど、不眠症なんだって? 一人じゃ寝られないからって仮眠室に入り浸ってるって」

「は!?」

「パワーちゃんの面倒を見るのは……ちょっと、色々と厳しいだろうから、養生するまでしばらくデンジくんと共同生活したらいいよ。早川家での同棲も考えたんだけど、ちょっと部屋のスペース的に厳しいかなって」

「ちょちょ、ちょっと、ちょっと待ってください。理屈が全然通ってない! だめでしょっそんなのっ」

 ばっ、とアキくんの方を見た。

 この状況を作った犯人はどう考えてもこいつしかいない。こんな珍獣の生態をわざわざ上司にご注進した犯人は。けれどアキくんはすっと目を逸らして、我関せずという顔で明後日の方角を眺めている。この裏切り者。まんまとしてやられた。昨日の仕返しだとでもいうのか!

 とにかく抗議しなければ。マキマさんに向き直る。

「ま、待ってくださいマキマさん。わ、若い男女が二人きりっていうのは……その、まずくないですか!?」

「早川くんがパワーちゃんに手を出すとは思えないけどなあ。私は彼を信用してるよ」

「そうじゃなくて! 私がデンジくんを襲わないとは思わないんですか!」

「デンジくん、襲われちゃうの?」

 マキマさんがきょとんとした顔でデンジくんを見やる。

「襲われません!」

「デンジくんが私を襲うかも!」

「デンジくん、襲うの?」

「おそ……襲いません!」

「だって。大丈夫だよ」

「今ちょっと迷いがありましたよそいつ!」

 マキマさんはにこにこと涼しい顔で私の必死の抵抗をするりと受け流している。手応えがまるでない。壁を相手に喋っているのと大差ないみたい……。

「例の件もあるし、なるべく副隊長には安定した状態でいて欲しいんだ。……傍に置くならデンジくんが最適だと思うけどな」

「……何を根拠に……」

 こめかみに指を置いて少し考える。……アキくんとデンジくんはマキマさんのことが好き。それは皆知ってる。で、デンジくんは最近急激にマキマさんと距離を詰めてて……かつ、すんごいすけべ。

 きっ、もう一回アキくんを睨んだ。その顔に、「出来ることならお前がマキマさんからデンジを引きはがせ」と書いてある。

 まさか。そんな馬鹿なことがあっていいのかよ。

 そうして話はとんとん拍子に進み、その日の夕方にはもう、デンジくんが大きなボストンバッグをひとつ提げて私の部屋の玄関に立っていた。荷物はそれきり。中身のあらかたは最低限のお洋服、それでのこりは大体お菓子とエロ雑誌と聞いて、なんとも言えない気持ちになったけど、まあそれはそれ。

「お邪魔しまァ~す……」

「はい、どうぞ。狭いとこだけど」

 こうして私は、思いがけず一か月ほど、デンジくんと一つ屋根の下で暮らすことになった。

「にしてもデンジくん、よく了承したよね~……マキマさんに違う女の家で暮らせって言われて」

「ん? んん。オレぁ別に面倒見てくれる人ならだれでもいいから」

 まー早パイの飯しばらく食えないのはちょっとヘコむけど。美味いから。デンジくんはあっけらかんと言う。

「でも気にならない? 私が同じ立場だったら相当凹むよ?」

「なんで? それだけ信用してくれてるってことじゃねーの」

「……まあ、そういうものの見方もあるか」

 もしかしたら私が卑屈なものの考え方なだけ? ……そんなことないよね。普通、気になってる異性に「こいつ落ち込んでるらしいから一か月くらい同棲してやれ」って言われたら、しばらく凹むよな。もしも私が姫野先輩にそんなことお願いされたら、も~立ち直れないもの。

「ぅ~……でも、家に誰かいるのはちょっとうれしい……」

 要するに、私は病的なまでの寂しがり屋なのだ。

 成人してから数年、これまで色んな人間と一緒に寝て導き出した答えである。だから相手は別に男だろうが女だろうがどちらだって良くて、ついでに言うのであれば、そこに快楽はあろうがなかろうがどっちだっていい。ただ対価として差し出せるものが往々にしてそれになりがち、というだけで。

 これは単純に私がそういう性格だからなのか、それとも成育歴のせいなのか、色々調べてみたけど分からなかった。本を読むと自分に当てはまることがたくさん書いてある気がする。けれど、比較的自分と育ちの似ているアキくんを見ていると、やっぱりただただ私がそういう性格ってだけなのかなあ、という気もしてくるし。

「……」

「……あ? さっきからなにじろじろ見てんだよ」

「……いや。子供だなあって」

「そりゃそーだろ」

 デンジくんは宅配ピザをもちょもちょと食べている。何故なら私は料理があんまり得意じゃないから。ひーん、だけど二人暮らしならそれなりに栄養のことも考えないとだよね。アキくんって本当にすごい。

 そう、デンジくんは子供。子供なのだ。

 いくら私が寂しがりとはいえ、16歳の子供に夜這いというのはどうか。まさかあり得ないとは思うけれども、デンジくんとの寝室はきっちり分けることにした。

 とは言ったって一人暮らしの狭い賃貸、デンジくんのお部屋を作れるわけもないので、彼にはリビングで寝て貰うことになったのだけど。

「夜、私が襲ってきたら、腹パンして止めてね?」

「ああ? 大丈夫だって」

「そうかなあ。でもほんとごめんねリビングで……寝てみて、嫌だったら違う方法も考えようね」

「いいって、心配症だなァおい」

「そりゃ心配するよぉ……」

 家に高校生くらいの男の子が急遽泊まることになって不安にならない大人が居るか。結局その日は二人でピザを食べて、夜まで二人でゲームをしてから眠った。

「すっげえ! なんでこんなに色々ゲームあんの?」

「ちょっとね。最近事情があって買いそろえたの」

「ほーん。事情なァ。ま、なんでもい~けど!」

 デンジくんが居るからピザ二枚とサイドメニューくらいならすぐなくなっちゃうかなあと思ってたけど、結局何枚か余りが出て、食べきれなかったポテトと一緒に包んで冷蔵庫に入れた。

 勝手にデンジくんのことを大食いだとばかり思ってたけど、私の偏見だったみたい。

 一人の夜が怖い。

 夢を見る。幼少期の夢である。

 頭上で大人たちが喋っているけれど、どんな話をしているかは分からない。分からないけどとりあえず愛想笑いを浮かべる。まぜて。私もまぜて。そのうちに大人のだれも自分を見ていないことに気が付いて、自分の存在がたまらなく恥ずかしくなる。ウェイトレスの運んでくるクローシュは大きくて、立派で、これさえあれば私もその中に入れて貰える気がして、ほとんど焦燥のような感覚で必死に短い手を伸ばす。見て。私もここにいるよ。それで……。ウェイトレスの手が私の手を撫でる。「ほら、███ちゃん、自分でおねだりしてごらん」…………

「ぎゃ」

 寝汗びっちょりで目が覚めた。時刻は深夜の2時、壁の向こうからは寝息が聞こえてくる。私はどうして一人なんだろう。家で寝てるのは……今エントランスに行ったら人がいるだろうか。警備員さんが居たはずで、ああ、ああ、えっと。ちがう。私はどうしてここにひとりなんだろう。部屋にひとりぼっち、やだ、やだ。

 さみしい。

 病的にさみしい。さみしいさみしいさみしい。ひとりは嫌。手が震える。誰か。ここ数年一人で寝たことなんてなかった。誰でもいいからこの孤独を埋めて欲しい。這いずるようにベッドを出た。誰か私を見て。足先まで寝汗をかいていたせいで、歩くたびにぺたぺたと音が鳴った。ノブを引いて、そのまま真っすぐリビングへ向かう。

「でんじくん」

「ん……ふぁあ……なに? まだ外暗い……」

「デンジくん、どうしよう、わたしさみしいの」

「ああ……? は? なに? なんで泣いてんの」

 情けないとは分かっているが涙が止まらない。さみしい、さみしいさみしい。私を見て。

「夜が来るのが怖いの」

 精一杯の顔を作って首に抱きついた。私がこうすると、皆が「かわいそうに」と頭を撫でてくれる。抱きしめてくれる。狼狽するデンジくんにキスをした。

「んむ! んんんん~~!!!」

「ぷは……こうするの、やだ?」

「ヤじゃねぇけど……だ、だめだって! マキマさんに……」

「私のこときらい?」

「そーいう問題じゃなくて!」

「デンジくんは、えっちがしたいんだよね?」

 頭の中がぐるぐるする。じゃあいいじゃないか。何にもまともに考えられない。誰でもいい。だれでもいいからこの穴を埋めて欲しい。無意識のうちに手がデンジくんのパジャマに伸びる。

「ちょっ、ふくたいちょ」

「デンジくん、大人がどうしてえっちをするのか分かる? お酒でも、煙草でも、他に楽しいことは沢山あるのに」

「な、なんでってそりゃ……きもちいいから……」

「ふふ……違うよ。大人はみんな寂しいの。寂しくて寂しくてたまらないから、こうやってそれを埋める方法を探してる」

 指に触れる素肌がさらさらしていてきもちいい。

「君にとって、いちばん都合のいい私になってあげるから」

 清潔な男の子の肌。傷ひとつなくてきれい。そしてわたしも……だって私にはこれしかない。指先に堅くてつるつるしたものが触れて、あれれっ? 人体にこんな部分あったかな……

「マジで、だめ、だって!」

「ふぎゃ!」

 指先で軽く引っ張ろうとしたその時、お腹に凄まじい衝撃があって意識が落ちた。

 目を覚ましたのはそれから数時間後の朝のこと。

 お腹がものすごく痛い。一応、とばかりに掛けられていた毛布をめくって確かめると綺麗にこぶし大のあざが出来ていて、おおよそのいきさつを察した。

「このスケベ女」

 机の向こう側から、デンジくんがジト目でこちらを見ている。

「……私何したんだっけ」

「おーおー、俺に襲い掛かってキスして来たぞこの痴女! デビルハンターの女ってのは皆こーなのかよ!」

「や……あああ~~記憶ある……思い出してきた……ごめん……夜中にヘラっちゃって……」

「ごめんで済んだら警察はいらねーよ!」

「うううう~~……ごめん……ごめんなさいごめんなさい……」

「……いや、まあ、結果的には何事もなかったからいーけどさぁ」

「ほんとごめん……ごめんなさい……」

 なんてこと。なんてことだ。こうなるから嫌だったんだよな……フラれたし。うううう~。デンジくんが腹パンで止めてくれて良かった。

 うちのアパートは屋上が解禁されていて、一応といった感じではあるが椅子とテーブルが設置してある。

 せっかくなので、朝ごはんはそこで食べることにした。とはいっても、ドレッシングをぶっかけただけのサラダと目玉焼き、それとチンしたピザ……といった出来だけど。デンジくんはそれでも上機嫌。

「朝からよくピザ食べられるねえ……」

「なんで? うめーじゃん」

「……若いってすごいっ」

 サラダからプチトマトを指で摘まんで食べた。お行儀はあんまり良くないけど。「なんか副隊長って、姫パイに似てる」「ん~……よくつるんでたしね。無意識に真似しちゃうのかも」なんて、どうだか分かんないけど。食べかけのピザをデンジくんに押し付けて、そのままぼんやり街中を見下ろした。

「デンジくんってさ、寂しいとか悲しい~って感じ全然しないよね。いっつも平気そうな顔して」

「そお? 自分じゃよくわかんねぇ」

「うん。……本で読んだんだけど、私とか、デンジくんとか……子供の頃に大人に酷いことされた人は、情緒が不安定な大人になりやすいんだって」

「へー……。……副タイチョー、子供んときに大人に酷いコトされんだ」

「あ……そ、だね」

 しまった、余計なことを言った。焦る私とは裏腹にデンジくんはなんでもない顔でピザのチーズを伸ばしていて、私が意識しすぎなのかと微妙な気持ちになる。

「……でもデンジくんは、どうしてそんなに余裕の土壌があるんだろう。凄く安定してるよ」

「ん~……わかんねェけど。俺は一人でも一人じゃねーから」

「うん?」

「だから安定感あんのかも」

 デンジくんは自分の心臓を指さす。

「ポチタがここにいっからさ」

 ぽちた。一拍遅れて、それが彼の心臓と一体化した悪魔の名前であることに気が付いた。

「わあ……ふふ、いいな。それ……うん、そうね。そしたら確かに寂しくないかもね」

「だろ?」

「うん、うらやましい」

「で、そういう副隊長はいっつも寂しそ~に見える」

「ん……それは、まあ。一人で寝ると変な夢ばっかり見るからさあ、なんか……」

「や、そ~じゃなくて。別に普通にしてる時でも必死な感じするから。なんで?」

「……やなとこつくね! えい!」

「あっ、おい! 行儀わりーぞ!」

「いじわるを言うデンジくんの黄身など割れてしまえ」

「意地悪なんて言ってねーだろ!」

「言ったよ。言った」

 黄身がはじけた目玉焼きをデンジくんがパズーみたいにパンの上から引きずって食べている。その姿を見ながら、私の心臓がポチタくんだったとしても、デンジくんみたいに前向きにはなれないだろうなあ、と思った。もしも私が100人いても、私の寂しさは絶対に埋まらないもの。

 育ちか性差かは分からないけれど、きっとデンジくんと私は違う生き物なのだ。

「ねえ、家に帰らなくていいの? 子供がいるんでしょう」

 シャンデリアがまぶしい。私が目を細めると隣で添い寝をしていた彼女がすぐに気づいて頭上のライティングを調整してくれて、こういう気遣いが出来る所が好きなんだよなあ、と一方的なことを思った。時計を見るともう3時。今から帰ろうと思ったって、タクシーを捕まえるのもちょっと難しい時間帯。

「うん……でも夜ご飯は用意したし、お布団も好きに使っていいよって言ってるし……遠慮するような子じゃないから、だいじょうぶ」

「そういうものかしら」

「そうしないと私がその子のこと襲っちゃう……」

「ああ。確かにそれはまずいわね」

 未成年淫行はだめよ、笑う彼女の唇を吸う。

「不倫をしているあなたが言うの?」

「女同士ならセーフなの。不倫がダメな理由の一番は托卵でしょ?」

「私は悪魔と契約してる女ですよ? うっかりすると孕ませちゃうこともあるかも」

「あは、なら孕ませてみてよ。悪魔の子がどんな顔してるのか、私見てみたいわ」

 悪魔の子。なぜだかデンジくんの顔が浮かんで、ふるふると枕に埋めたまま顔を振る。

「ならその前に旦那さんと離婚して」

「いやよ。彼稼ぎがいいの」

「私だっていいですよ〜」

「女同士じゃ遺産を相続出来ないじゃない」

「むぅぅ」

 分かりやすく嫉妬した顔を作って見せた。この人は、嫉妬深い私のことが好きだから。

「でも、その年で副隊長ってすごいことよね」

「そうかなあ」

「すごいわよ、十分。毎日頑張ってるのね。腕だってこんなに注射の跡だらけ……。……まさかクスリじゃないわよね?」

「ちがわい! 悪魔との契約のことで色々あるの! 血を渡さなきゃいけないこともあるし……」

「はぁ……大変ね」

「別に。あなただって大変でしょ、育児とか……息子さん今高校生だっけ?」

「ああ……いや。言っても私は遊んでるだけよ。遊んでる途中で、たまたまいい男を見つけたの。育児も家事も旦那任せよ」

 するりと肌を撫でられて高い声が出た。彼女の指先が太ももを伝っている。あれ、もうそろそろ眠るころだと思ったんだけど。

「息子なんていらない。本当は娘が欲しかったのに……」

 出会ってから数百回目の呪詛だった。ああ、なんてろくでもないひと。そんな人と寝ている私もろくでもない、けど。じゃあ私が娘になってあげるね。かわいくって、弱々しくて、甘えん坊で、嫉妬深い娘になる。私には定義がない。だからなんだっていい。それに文句を言う人は居ないから。

「ね、っ、ママっ……」

「うん……なぁに? 娘ちゃん」

「私、のこと、みてっ……」

「見てるじゃない。こうやって……」

「わたしっ……わたしのことっ」

「ふふ……良いところならもう知り尽くしてるけど?」

 そうじゃなくって、そうじゃなくって。捻り出した声が全部情欲に変換されてく。

 こんなことなら、もうすこし普段から自炊しておけば良かったなあ、と思った。

 焦げたチャーハンに化学調味料っぽい味のスープ。アキくんの腕を知っている身からすると情けなさで体が縮こまりそうだけど、デンジくんは平気そうにしてる。

「ねえデンジくん、これ食べられる? 味は変じゃない?」

「ん、うめーよ」

「ならいいんだけど……」

「副隊長さ」

「うん?」

「また知らねー奴んとこ行くの?」

 突然話を変えられてびっくりした。私が夜な夜な化粧して出かけていくことを、デンジくんはよく知っている。

「ああ……まあ、うん。迷惑かけるよりいいでしょ」

「迷惑って、襲われて腹殴っただけじゃん。……あ、待った、迷惑ってそっち?」

「え、そっちって?」

「や、俺がフクタイチョーの迷惑みてーな」

「あ、や、そんなことないよ。私が気にしちゃうからってだけ。……わざわざ家に来てもらってるのに、そのあたりは、うん、ごめんね。意味がなくて」

「いや、それはいいけどさ。……そんなら、今日二人で寝ればよくね?」

「へ?」

「え?」

「ふたりで、って?」

「だから、俺と副隊長が同じ布団で寝んの」

 ぱちぱち。驚いて瞬きを繰り返した。

「……どうして?」

「アキから聞いた。アンタ一人だとヘンになるんだろ。ならさ、二人でくっついて寝ればいーじゃん」

「それは……や、ま、そうだけど」

「別に、エッチがしてー……ってわけでも、ねーんだもんな。多分」

「それは、うん……」

「じゃあ俺でいーじゃん」

 無理して外出ることねーだろ。そんなに風に言い切ってしまう。まるで簡単なこと、みたいに。

「でも、私何もしてあげられないよ」

「これ以上何かしてもらう必要あんの?」

「へっ」

「飯作ってもらったじゃん」

「……でもこれ、美味しくないよ」

「うめェよ、これで十分」

 お椀を持つ手が震えた。困ってしまって、何を言ったらいいか分からなくなって、目も合わせられずに少し俯く。

「……じゃあ、今日は一緒に眠ってくれる?」

「おう。……あ、でも変なことすんじゃねーぞ! 俺ぁ初めてはマキマさんって決めてんだよ」

「うん。……しないよ、ぜったいに」

 とは言ったものの。

 一人で使うには少し広いけれど、大人二人で眠るには微妙に狭いベッド。枕をもう一つ並べて、掛け布団をめくってみる。デンジくんは入口のところに立ったまま、物珍しそうに寝室の中を眺めるだけ。

「……何か気になる?」

「女性の部屋って、もっとこう……色々あんのかと思ってた」

「色々?」

「知らねーけど。いい匂いするモンとか、ぬいぐるみとか……なんか、壁にリボン貼ってあるとか」

「……デンジくんって、普段どんな本読んでるの?」

 そんな部屋、今どき少女漫画でだってそうそう見ない。

「つまんねーの」

「人の寝室に何を期待してるんだ」

 笑いながら照明を消す。すぐ近くに高い体温。あったかくて、安心する。

「うお、狭っ」

「だから言ったでしょ」

「副隊長、もっとそっち行けねーの?」

「これ以上行ったら壁にめり込んじゃうよ」

「じゃあオレが落ちるじゃん!」

「言い出したのはデンジくんなんだから我慢して」

「横暴だァ……」

 ごそごそと布団が動く。しばらくして静かになったと思ったら、デンジくんはベッドの端に身体を寄せ、私に背を向けていた。肩から腰までが妙に強張っている。少しでも触れたら飛び上がりそう。

「そんなに離れなくてもいいんだよ」

「だって近ェじゃん」

「女もののベッドで一緒に寝るんだから当然でしょ」

「女もののベッド……」

 妙にうっとりした声だ。くすくす小声で笑う。

「はっ! へ、変なことすんじゃねーぞ!」

「しませんよ」

「この前はしただろ!」

「あっ……あれは本当にごめんなさい」

 小さくなって謝ると、デンジくんは黙った。また嫌なことを思い出させてしまったかもしれない。そう思うと、せっかく一緒にいてくれているのに、急に申し訳なくなってくる。

「やっぱり、リビングに戻る?」

「なんで?」

「落ち着かないかなって……」

「別に」

「でも……」

「そしたらまた副隊長が変になんじゃん」

 ぶっきらぼうな声だ。慰めようとしているわけでも優しく聞かせようとしているわけでもない。それなのに私を心配してくれてる気持ちだけは痛いくらいに伝わって来て、それが嬉しくて、少し笑った。

「なに笑ってんだよ」

「ううん。何でもない」

 時計の針が進む音がする。

 目の前には、デンジくんの背中がある。

 ゆっくりと息を吸って、手を伸ばした。

「デンジくん、抱きついてもいい?」

「……変なことしねーなら」

「しないよ」

 遠慮がちに背中へ腕を回す。触れた瞬間にデンジくんの身体がびくりと固まったけれど、振り払われることはなかった。

 服越しの背中に頬を寄せる。

 あたたかい。

 呼吸のたびに、彼の身体がほんの少し膨らんで、萎む。こんなに近いのに、どうして今まで気づかなかったんだろう。人の身体って、生きているだけでこんなにあたたかい。

「……副隊長、手ぇ冷たくね?」

「そう?」

「氷に触られてるみてェ」

「ひどいなあ」

「ほんとだって。冷てっ」

「ふふふ」

 そう言いながらも逃げない。少しだけ腕に力を込める。デンジくんの背中にしがみついて、目を閉じた。それきり、また静かになった。眠らなくちゃと思うほど、頭が冴えてくる。デンジくんの背中。首筋からする石鹸の匂い。すぐ近くにある体温。

「……デンジくん」

「……んだよ」

「デンジくんの方からも抱き締め返してほしいって言ったら……流石に、我儘かなあ」

 返事がない。

「デンジくん?」

「してるから、無理」

「へ?」

 してるからって、何が? 起き上がろうとすると手を掴んで止められた。指がすっごく熱い。

「今めちゃめちゃ勃起してっから、無理」

「……へ? ぼ、ぼっきしてるの」

「すげーしてる! けど、何もしねェから! それは絶対!」

「あはは……マキマさんに義理堅いねぇ」

「それもあっけど!」

 勢いよく言ったあと、デンジくんの声が少し小さくなる。

「……なんか」

「うん?」

「今ここで副隊長に変なことしたら、アンタ、あとで傷つきそうだから」

「私が?」

「なんか、そういうの……嫌だから」

「なんかって……」

 返事に困って黙り込んでいたら、デンジくんが寝返りを打った。

「わ」

 突然こちらを向かれて、顔がぶつかりそうになる。暗闇の中にデンジくんの目があった。近い。吐いた息がお互いの顔に触れるほど近い。勃起してるのは良かったの、そう言おうとした瞬間太ももに硬いものが当たって小さい悲鳴が漏れた。え、え?

「な、なに? あれ!? ぼっきしてるのは、いいの?」

「……もう自分で白状しちまったから、別に隠すことない、カナーって……」

「あ、ああ……それは、そうなのかも、っ……」

 分からない、けど。

 行き場を探していた腕が、おそるおそる私の背中に回される。

 ひどくぎこちない抱き方だった。抱きしめるというよりとりあえず腕を置いてみた、と形容した方がいいような。それでも腕の重みが嬉しくて、暖かくて。目の前の胸に顔を埋める。

「……苦しくないっすか」

「大丈夫」

「や、でも……近すぎじゃ、ないっスかね……」

「……振り返って来たのは君でしょ?」

「や……ここまで近くなるとは思わなかったんだよォ……」

 文句を言いながらも、デンジくんの腕に少しだけ力が入る。胸の奥が痛いほど甘く締め付けられた。

「ねえデンジくん」

「ん」

「ほんとに……何もいらないの?」

「あ?」

「私から。何かしてほしいこと、ないの」

「ねーよ」

「本当に?」

「しつけーなァ。飯作ってもらったし、ゲームもやったし、風呂も入ったし、寝るとこもあんじゃん」

「チャーハン、焦げてたよ」

「うまかったっつってんだろ」

「でも」

「それ以上、何してもらう必要あんだよ」

 胸の奥が少し痛くなった。痛いのに嫌ではなかった。むしろ、ずっと空っぽだった場所へ何かが入り込んでくるような、不思議な感覚。寂しいときの逆の感じ。考えてみたら不思議だな。さみしいの対義語って、なんだろう。楽しいとも違う。にぎやか、とも違う。こういう時の感覚って、なんて言ったらいいんだろうな。

「デンジくんは優しいね」

 目を閉じるとデンジくんの心臓の音が聞こえた。規則正しくて、力強くて、その奥にはきっとポチタくんもいる。眠りに落ちる寸前、背中に回された腕が少しだけ動いた。寝ぼけたデンジくんが、逃がさないように抱き寄せてくる。

「流石、副隊長なだけはあるね。ここまで成長速度が速いとは思わなかった」

「マキマさんに褒めてもらえるなんて光栄です」

「先月から模擬訓練の結果が良くなってる。この調子なら、実戦でも力を活かせそうだね」

「そう……ですね。隊長にもお力添えを頂いて……」

「それもあるだろうけど、やっぱりデンジくんのお陰かな」

「……どうでしょう。ああでも、ゲームは時々付き合って貰ってます。その影響はあるかも?」

 ゲームかぁ。マキマさんはその綺麗なかんばせをゆっくり傾けた。いつもうっすら笑ってるから、表情から感情が分かりにくい。

「この悪魔は気まぐれなんだ。どれだけ対価を差し出しても、気に食わない人間とは絶対に契約しない。……キミがちゃんと使いこなせそうでよかった」

「左様ですか……」

「うん、だから頑張ってほしいな。特異課は随分人員が減っちゃったから、一人一人への負担が大きくなってて……申し訳ないけど、君のことは頼りにしてる」

 申し訳ないとも頼りだとも思ってないくせに、そういうポーズを取らなきゃいけない立場の人は大変だなあと他人事みたいに思った。足先を叩いてパンプスの履き心地を直す。

「まあ、程々に頑張ります。あまり目立ちすぎても良くないですから」

「うん。せっかくなら、今度の週末にはどこかにお出かけしてみたらいいよ。デンジくんに付き合って貰って。もしも悪魔の力が暴走しても、デンジくんなら制圧できるだろうし」

「う~ん……じゃあ、そうですね。マキマさんが言うならそうしてみます」

「うん。デートが終わったら感想も聞かせて。デンジくんがどんなデートをするのか、興味あるな」

「まあ……はい、そうですね」

 あんまり気は乗らないけど。だけどデートかあ。どうしようかな。あまり大人向けじゃないところがいいけど。子供が行ってはしゃげるような場所がいい。妙な雰囲気には、ならないような場所。

「デンジくん、こっちみて、ピースだよー。初めての夢の国記念!」

「ん! んん゛」

「あはは! ぎこちな。ね、ポップコーンおいしい?」

「ん!」

「よかったぁ」

 人ごみに呑まれそうになりながらカメラを構える。フレームの中にはデンジくんひとり。天気は晴天。とっても晴れやか。ビデオカメラは今日の為に用意した。帰ったらアキくんとパワーちゃんと、あと……喜ぶか分かんないけどマキマさんにも見せてあげようと思って。

 あー。

 口を開けてポップコーンを食べさせてもらう。最初のほうは自分で食べてたけど、指が震えて何回も取りこぼすからこういう形に落ち着いた。

「それじゃあデンジくん、まずはスターツアーズに乗ろうか。これは毎回演出がランダムでね。出てくるキャラクターとか飛ぶ惑星が毎回違うんだよ」

「ほーん?」

「楽しそうでしょ?」

「スターウォーズ見たことねぇ」

「あ、そうなんだ。じゃあこれからスターツアーズに5回乗るからそのつもりで。大丈夫、分からないことは全部解説してあげる」

「は?」

「楽しみだね!」

「はあ!?」

 デンジくんは不満たらたらの顔だけど、それでも付き合ってくれるんだからノリがいい。

「私チューバッカ好きなんだよね。なんかちょっとデンジくんみたいじゃない?」

「だからスターウォーズ見たことねぇって」

「じゃあ見て。帰ったらすぐに。ほんとデンジくんそっくりだから」

「……見たことねぇけど、チューバッカってあれだろ、デケェ犬みたいなの」

「うん」

「……」

「似てるよ」

 扱いが全部不遇なところも含めて全部。忍耐強いけどたまに爆発して、それが終わったらすぐ忘れちゃうところも。なんだか妙な父性があるところも。デンジくんって、前世でウーキー族だったんじゃないかな。「デンジくんは……毛皮にしたら、そこそこの値段になりそうだね」デンジくんは不服そうにしつつも、どこか不安げな顔で自分の髪を触っている。可愛い。

 スターツアーズ。出発進行。3D眼鏡をかけて、揺れて、デンジくんがスパイ認定されたりして。

「すげえ、すごかった」

「そうですか」

「なんかこう……映像がびゅーんってして、身体がガタガタ揺れて」

「んふふ」

「あ、でもさっき乗ったジェットコースターはクソ待たされた割には別にだったな……なんつーか、だから何ってカンジっつーか」

「君はもっと刺激的なこと、沢山体験してるもんね」

 空中で爆破されたり音速でぶっ飛ばされたりしてたらそりゃ子供でも乗れるように調整されたジェットコースターはつまんないよな。間違っても絶叫系の遊園地には二人でいけないかも。私はジェットコースターが普通に怖いし、普通にその怖さが楽しいタイプだから。

 ……デンジくんの価値観を体験として理解出来ないのはちょっと寂しいなと思ったり。もしも私が同じような体験をしたとしても、数回目の爆撃にこの肉体が耐えるとは思えない。

「デンジくん、あーん」

「あーん」

「あっ、ごめん、めっちゃほっぺにチョコついた!」

「んっ、んっ」

「あはは、舐めたらお行儀悪いよ。今ハンカチ出すから待って」

 でもそんな所も可愛い。あーんでチュロスを食べさせて、お揃いのカチューシャを買って、デンジくんの頭にかわいいヘアピンを三つも四つもつけまくって、気まぐれに撫でて、アイスを食べて。

「ふふ。されるがままだねデンジくん」

「ん? んん」

「やじゃないの?」

「別に? 何処に嫌がる要素があんだよ。ツラのいい美人とあれこれデート出来てサイコーじゃん」

「ふふ。そっか。面がいいかぁ」

 指先でくりくりとヘアピンの飾りを捏ねる。かわいい。とってもかわいい。食べちゃいたいくらい。デンジくんはちょっとつついたりからかうだけで表情がコロコロ変わるから、待ち時間だって退屈しなくて。

「……ねえ、デンジくん」

「ん? なに」

「何か気付くこととか、ない?」

「? 前髪切った?」

「ん。ふふ、うん……そうだよ、大正解。前髪を少し切ったの、今日のために」

 だからこれは、親愛。親愛の気持ち。そういうことにしておいて。

 だけどそろそろビデオカメラのバッテリーが不安だなあ、前半戦で飛ばしすぎちゃったかも……なんて、そんなことを考えていたその時。

 ピンポーン。

 園内でずっと鳴り響いていた音楽が止んだ。

 現実のデンジくんが顔を上げると、ビデオカメラの中のデンジくんも顔を上げる。少し遅れて園内アナウンス。

『ゲストの皆さまに、お知らせいたします。

 ただ今、パーク内におきまして悪魔の出現が確認されました。皆さまの安全を確保するため、一部のアトラクションおよびショーの運営を、一時中断しております。

 恐れ入りますが、キャストの誘導に従い、落ち着いて、広い場所へお進みくださいますようお願いいたします。建物のそばにいらっしゃる方は、建物から離れてお待ちください。

 公安への通報は、すでに完了しております。まもなく専門のスタッフが対応にあたります。どうか、慌てず、走らず、キャストの指示に従ってください』

「おや」

「うげえ、んで俺がデートしてる日に限ってんなことばっか……!」

「デンジくんは何かと持ってるよねー。前世で何か悪い事したんじゃないの?」

「知らねーよ!」

 ぼんやり。これは……デンジくんの心臓狙いの悪魔かな。……うーん。じゃないことを願うけど。だってもしそうだったら、これからデンジくんを楽しい所に行きにくくなる。そういうところで責任を感じて欲しくないな。

「今日公安手帳持ってる?」

「持ってる訳ねェ!」

「ありゃま」

「……まさか今から仕事すんの!?」

 当たり前。何も言わない私に、デンジくんは信じられない、という顔で震えている。

「きょ、今日、折角のデートなのにィ!」

「デートならいくらでもまたしてあげるから! 今日はいいとこ見せてくださいな」

「う゛ー……絶対な!?」

「もちろん」

 そうと決まったら全力ダッシュ。逆行する私を心配して声をかけてくるキャストたちに、公安手帳を見せびらかしながら道なりに。悪魔が出現したのはトゥーンタウンのあたりだそう。またなんて奥まったところに。

 明るい色の壁、可愛らしい看板。道端に落ちたポップコーン。ひっくり返ったベビーカー。その全部の真ん中で、悪魔がいた。

「……うげえ、気持ち悪ぅ……」

 巨大な果物みたいだった。ぶどう。そう、ぶどうみたい。粒の大きさがばらばらで、丸く膨れたものがいくつもいくつも寄り集まって。けれど近づいてみると違う。粒ではない。丸いもののひとつひとつに、鼻があり、まぶたがあり、唇がある。その粒のひとつひとつが、子供の頭のかたちをしているのだ。ぜんぶ顔立ちが違う。泣きそうな顔。笑いかけの顔。眠たそうな顔。怒っている顔。何かを言おうとして途中で止まってしまったような顔。それらがでたらめに縫い合わされて、ひとつのぼこぼこの塊になっている。下の方からは、赤子の腕みたいなものが何本も生えていた。短くて、柔らかそうで、だけど節の動きだけは虫の脚みたいにぎこちない。

「キモッ!!!!!」

「これなんの悪魔だろーねぇ!」

「子供の悪魔とかじゃねえ!?」

「かもー!」

 お互いあまりに大きな声で話すから、すぐに気づかれて悪魔の頭のひとつが、こちらを見た。や、やっぱひとつじゃない。十、二十、もっと。いくつものまぶたが同時に開いて、ばらばらの黒目がこちらを向く。顔の縫い目がみしみしと音を立てた。ぷしゅ、ぷしゅうと隙間から微妙に黄ばんだ組織液のようなものを吹き出して、にちゃにちゃと湿っぽい効果音と共にこちらを振り向く。乾いて固まった黄色い塊が、そのたびにぱらぱらと落ちていく。最悪。

「デンジくん」

「あ?」

「めちゃめちゃ復興費高そうだから、あんまり設備は壊さぬように!」

「それオレに言う!?」

「悪魔に言っても通じなさそうだし」

「だからってオレに言ってどーすんだよ!」

 夢の国が悪魔被害の修理でずーっとお休みじゃ可哀想でしょ? ぶーたれながらも、デンジくんはもう胸元に手をかけていた。紐を引く。次の瞬間、耳をつんざくような荒っぽい金属音が鳴って、顔に風が当たる。骨が軋むような音、肉が裂けるような音、そしてエンジンの唸り声。デンジくんの頭が割れて、そこからチェンソーが飛び出す。両腕にも刃。足元から骨格が作り替わる。

「あっ!」

 頭がチェンソーになっちゃったから、かわいいヘアピンが、当然ぱらぱらと地面に落ちていく。

「あーっ、ヘアピン!」

「知るかァ!」

 叫びも意に介さず、チェンソーマンは叫んで、悪魔へ突っ込んでいった。刃が回る。陽気な街並みに似合わない音がぎゃりぎゃりと響く。悪魔の赤子の腕が一斉に伸びた。数が多い。細い腕が何本も何本も、まるで水草みたいに揺れながらチェンソーマンへ絡みつこうとする。切っても切っても新しい腕が下から生えてくる。小さな手のひらが、彼の腕に、肩に、チェンソーの刃にまでぺたぺたと触れて。

「うーっ、見てるだけでも気持ち悪いなあ……!」

 それがまた、悪意よりも甘えに近い動きなのが嫌だった。ちょっぴり、というかかなり気に食わない!

「デンジくん、一回引いてー!」

「あ!?」

「いいから!」

「分かった!」

 着地の瞬間、地面の模様入りタイルが割れた。弁償代、公安持ちだろうか。まさかそんなことないだろうけど、値段がどれくらいかは考えたくないな。内臓がますます痛くなりそう。左手を制服の上から腹に当てた。

 息を吸う。私の契約悪魔への対価。肺でも、肝臓でも、腸でもいい。どこかを齧らせる。そうすると、相手の体内に同じだけの災厄を植えつけられる。腫瘍。増殖。暴走。そっくりそのまま癌の理屈と一緒。

 腹の奥で、見えない指が内臓を優しく撫でた。不快感に声が漏れる。

「、ぅぅ~~~……っ!! う、ああ、ぁ……っ!」

「っ、やっぱオレが——」

「平、気」

 たくさんの子供の顔が、ぱくぱくと口を開いている。声は出ていない。ただ、口の形だけが「おかあさん」に見えたり、「いたい」に見えたり、「あそぼ」に見えたりする。ああもう、随分と悪趣味だ。指が迷うように腹の中をかき混ぜているのが分かる。小腸、大腸、腎臓、肝臓に、膵臓——。

「癌の悪魔、よ、私の胃をあげるから、あの悪魔に腫瘍を作って」

 今回は、胃。腹部を貫かれるような感覚に目を瞬いた瞬間。悪魔の体の内側が膨らんでいく。ぼこぼこぼこ、続けて三つ。縫い合わされた頭の隙間が内側から押し広げられ、悪魔が初めて明確に叫んだ。子供の泣き声を何十人分も重ねたような音だ。耳の奥が痺れる。胃がひっくり返りそうになる。気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い。キャアアアアアアアア。甲高い悲鳴と共に悪魔がその場に這いつくばって、同時に、私の腹の奥もひどく熱くなった。

「っふ、」

 膝が抜けかける。だけど倒れる前に、チェンソーマンの腕が私の襟を掴んだ。

「胃!? 胃って、全部!?」

「そ、だね。なくても、へーき、だから」

「平気じゃね~だろ!? 何してんだよ、んなしょっぱい戦闘で!」

「で、も」

「今はオレが居んだからさァ、頼ってくれればい〜じゃんかよ!」

 装甲越しでも怒った顔をしてくれているのが分かって、嬉しくて笑ってしまう。笑ったら、口の中に少しだけ血の味がした。

 悪魔は内側から膨れ続けている。丸い頭の塊が、さらに歪な形へ変わっていく。さっきまで好き勝手に伸びていた赤子の腕が、今度は自分の体を掻きむしるように動き始めた。増えすぎた肉が邪魔をして、まともにこちらへ進めなくなったみたい。

「デンジくん、い、ま、のうち……」

「言われなくても!」

 私を丁寧にその場に座らせてから、チェンソーマンが地面を蹴った。速い。怖がるより先に突っ込む。考えるより先に斬る。たぶん、命が惜しいとか惜しくないとか、そのへんの感覚が普通の人間と違うんだろうな。私もいつかそんな風になれるかなあ……。治るって分かってても怪我をするのは怖い、のに。

 ぎゅいーん。鈍いエンジンの音。

「悪魔のクセによォ!」

 回転する刃が、悪魔の表面へ食い込んだ。血しぶきがこちらまで飛んできて、思わず両手で目を庇う。

「俺のデートの邪魔すん、じゃ、ねェ!」

 ぎゅいん、ともう一度チェンソーが唸って、悪魔の体が縦に裂けた。中からどろりと濁った液体が溢れる。腫瘍で膨れ上がった肉が、押し出されるみたいに弾けた。子供の顔をした粒がいくつも苦しげに歪む。だけど苦しそうなだけ。切り傷には耐性があるように見える。だったら。

「うげええええ! やっぱ気分悪ィ!」

「で、じ、くん、きるのじゃ、だめ、そ、だから、ちょっと、さがって」

「無理して喋んなって!」

 もう一度腹に手を当てた。敵を見据える。見えない手がまた現れて、私の臍に指を押し当てている。

「癌の悪魔。私の膵臓をあげるから」

「は!?」

「それで足りない、なら、消化器官、も、まるごとっ……」

「だめッ、ダメだって、何考えてんだアンタ!」

「あげる、から、あの悪魔、ころしてっ……」

 全身を串刺しにされちゃったみたいな痛みが全身に走る。

 悪魔の体が内側から割れる。腫瘍が増殖しすぎて、形を保てなくなっているんだ。縫い合わされた頭の隙間から血が噴き出した。分厚い布袋を踏み潰したような音がして、赤子の腕がばたばたと宙を掻いて、それから糸が切れたみたいに落ちる。それを見て、私もそのまま後ろに倒れ込んだ。そうして仰向けになったまま空を見た。隣で泥の落ちる音がした。デンジくんが変身をといた、みたい。

「大丈夫、じゃ、ねえよな」

「デンジくんこそ……血、たりてる?」

「副隊長のがやべーだろ、どーすんだよ、内臓無くなって!」

「ふ、ふ、しんぱい、させて、ごめん、ね」

 煮えたぎるように熱かったお腹がだんだん冷たくなっている。デンジくんは心配というより困惑が勝った顔をしていて。そりゃそうだ。こんなしょうもない戦闘で、苦戦してたってわけでもないのに上司が自殺したらそりゃ怖いよな。咳をするたびおびただしい量の血が出て、アスファルトの上に池が出来た。狼狽したデンジくんが私の口を押さえる。「あんま血ィ吐いたら死ぬって!」ふふ、そんなのでどうにかなるわけないのに。

 視界が真っ黒になった。

 ぷつん。

 ゲームオーバー。

 これでおしまい。

 かちり。

 ふと空を見ると、日が暮れ始めていた。

 もうじき夜が近い。人のいない夢の国。寂しい。いつもはあんなに人でごったがえしているのに。ここには私と、デンジくんと、薄気味の悪い死体が落ちてるだけ。

「あーあこんなところで死んじゃった。……一日楽しくデートしてた私なのに」

 寝起きで足元がふらつく。血を吐き出して死んだ私の傍にしゃがみ込んだ。私の死に顔ってかわいくないな。本当の本当に死ぬときは、誰にも看取られないようにしよう。

 目を白黒させて困惑してるデンジくんの顎を掴んで、「私はいきてるよ」とわざとおどけた口調で言ってみせた。

「は……は?」

「どっきり大成功……って言うには、ちょっと不謹慎だね。まずは説明しないと」

 びっくりさせてごめんね。手を差し伸べた。私の忌々しい死体から、デンジくんを引きはがしたくて。

「私、新しい悪魔と契約したの。寿命を代償にして自分の分身を作れるんだ」

 そう。本体の寿命を代償に。私は内臓を削ったりはしたけど寿命は手付かずだったから丁度良かった。これはマキマさんの提案だったけど……あはは、あの人ってなんなんだろうね。どこからこんな悪魔見つけてくるんだろう。

 知ってた? アキくんが呪いの悪魔と契約したのもあの人の差し金。度肝抜かれたなあ、あの時。当然マキマさんが好きとか言い始めてさぁ、姫野先輩を慰めるのにどれくらいかかったっけ。それでも私は後釜になれなかったけど。

 君が惚れている女は魔女だよ。

 この節穴。何を見てるの。

 罵りたくなる気持ちを押し殺す。だめだなあデンジくんのこと大好きなのに……。

「だからね、今日一日デンジくんとデートしてたのは分身の方。ごめんね、遠距離からどれだけ操作できるか試したかったんだ」

 死体を軽く蹴ってうつ伏せにした。死体の顔をまじまじと見られたくはない。

 ポップコーンを上手に食べられなかったのは操作が下手だったせい。

 スターツアーズに五回も乗ったのは、見ているだけのアトラクションの方が楽だったから。でも最初より随分分身の操作が上手になったんだよ、これもデンジくんがゲームに付き合ってくれたからだね。

「じゃあ……いま、こっちの喋ってる副隊長が、本体、ってコト?」

「ううん、私も分身だよ。こいつが死んだときに新しく作ったの。本体は別の場所に隠れてる」

 だけど、それにしたってこの体は雑に使い潰しすぎたなぁ。足先で死体をつつく。デンジくんが下唇を噛んでふるふる震える。

「勿体ねェ! んでそんなことすんだよ!」

「は……?」

「俺一人だってどーにでも出来たってのにさァ! 訳分かんねー悪魔使って勝手に美女の寿命減らしてんじゃねーよ!」

「デンジくんには関係ないことでしょ」

「関係なくねーだろ!? な、なんか、分かんねぇけど、それってスゲェ良くない気がする!!」

 食ってかかるようにして怒鳴られて、咄嗟に言葉が出なかった。急激に私の体温が下がる。まぶたの裏にチラつくシャンデリアの光がまぶしい。目が、ちかちかする。

 体温が、急激に冷えていく。

「私が分身だって気付きもしなかったくせに、よく大口叩けるよね」

 急にすべてがどうでもよくなった。泣きたいような気持ちなのに、涙は一滴も出てこなかった。代わりに、すごく面白いことを思いついた子供みたいに笑いが込み上げる。

 その言葉、デンジくんにだけは、言われたくなかったなあ。

 ちがう、ちがう、ちがう、こんなことしたくないのに、自分の感情を制御できない。日がもうじき沈み切る。私の中の悪夢が暴れ出す。だって、ここは、夢の国だもの。

「ゲームしようか、デンジくん」

「ゲーム?」

「今から十二時までに本物の私を見つけてよ」

「はあ!? どこにいんのかも分かんねーのに!?」

「分からないから探すんでしょう」

「んな面倒なこと」

「お願い」

 どうしてもデンジくんに見つけて欲しいの。

 それで捕まえたら、ちゃんとキスして。なんで、と首を傾げたデンジくんに微笑みかけた。これがヒントのつもりだったけど、デンジくんはきっと知らないんだろうなあ、お姫様の話なんて。

「そこまで出来たらデンジくんの勝ち。なんでも言うこと聞いてあげる」

「マジで!?」

「うん。エッチでもなんでも」

「えっち……」

 だから頑張って。

 指先をくるりと回して、デンジくんの……そう、わき腹のあたりを指さした。

「癌の悪魔」

「あ!?」

「私の肝臓をあげるから、チェンソーマンに腫瘍を作って」

「ちょちょっ、は、まっ」

 しわがれた指がデンジくんの脇腹を撫でた。ど、れ、に、し、よ、う、か、な。ひっかき傷を残しながら内臓を選定する。

「ギャアアアアア!!!!!」

 服の下で肉がぼこりと持ち上がる。皮膚の内側を何かが這い回っているみたいに、不自然な膨らみが肋骨に沿って移動して。別の生き物が体の中に出来たみたい。あはは。乾いた笑いがこぼれた。

「う、ふくたいちょっ、なんでェ!?」

「邪魔しないとはいってないもん。……ほら、頑張って。デンジくんも私の事殺していいから」

「そしたらマジに殺し合いじゃねーかよ!」

「それでいいよ」

 片膝をついたまま、デンジくんが胸元のスターターロープを引く。

「めんッ……ど、くっせェ、女!」

 耳をつんざくエンジン音。頭部を割ってチェンソーが突き出し、両腕からも刃が伸びる。膨れ上がった脇腹から黒ずんだ肉片が飛び出して地面に落ちた。ああ、それも治癒の範疇なんだ。便利だな。

 ぎゅるぎゅると刃を回しながら、チェンソーマンがこちらへ走ってくる。だから私は両手を広げた。さあどうぞ。

「……っ!」

 私の首の寸前で止まった。

 風圧で髪が大きく舞う。

「どうしたの?」

「どうしたのじゃねェ! このままだと死ぬんだぞ副隊長!」

「だから、切りなよ。私を倒さないと、また痛い事されちゃうよ」

「っ……う゛~~~~!!!!」

 チェンソーマンが腕を横に振る。刃じゃなくて、腕の側面が私の肩に当たった。突き飛ばされて地面を転がる。痛くはない。いや、痛いけど。鈍い痛み。切りつけられた時の鋭い痛みではない、だから大丈夫、な、はずだったんだけど。肝臓があったあたりが痛くて起き上がれない。

 起き上がるより先に、襟首を掴まれた。ぐい、と引っ張られる。ワンピースの襟が喉に食い込んで少し苦しい。

「離して」

「ヤダね。今から警察んとこ連れてく。んで本体の場所吐かせる」

「それじゃあデンジくんの負けだよ」

「別にいーよ!」

「……よくない」

「俺がいーって言ってんだからいーだろ!」

「私がよくないの!」

 声が思ったより大きくなった。

 チェンソーのエンジン音が一瞬だけ弱くなる。だって、だってだってだって。

「だってわたし、君のことが好きなんだもん!」

 見つけてほしい。私がどこにいるか、誰かと同じ顔をしていても、どんなに遠くに隠れていても、灰被りでみすぼらしい姿をしていても、デンジくんだけには見つけてほしいの。だって私は君に惚れてる。一番大好きだからこそ、デンジくんだけに私を見つけて欲しい。

 だけど、それがどれだけあさましいことか理解している自分も居て。

 腹の中が冷えていく。

 襟首を掴んでいるチェンソーマンの指に、そっと手を重ねた。しわがれた指が私たちの内臓を撫でる。分身一体ごとに一年。これまでに何体作ったっけ?

「ほんとの私を、見て」

 愛して欲しいとまでは言わないから、せめて君だけは私をみつけて。チェンソーマンの手が緩む。その隙に襟を振りほどいて、数歩後ろへ下がった。

「……本当の副隊長ってなに? 全部、全部副隊長だったじゃん」

「ちがうよ。今、デンジくんが見てる私は、壊れたら捨てて、また作り直すだけの使い捨てなんだよ……」

「おう。じゃあその使い捨てとデートしてて死ぬほど楽しかった。写真撮られたり、変なモン頭につけられたり、同じ乗り物五回も乗せられたりして、それでもすげー楽しかった! その気持ちも偽物だってのかよ!」

 怒鳴り声が誰もいなくなった夢の国に響いた。これじゃ未成年の主張じゃないか。遠くからサイレンの音がする。今の時間は19時、12時まではあと5時間。

「俺は今日、アンタと遊んで楽しかったんだよ! それを後からニセモノでしたって言われたって、じゃあ楽しかったのも全部ウソだったことになんのかよ!」

「だって、これはっ、私じゃない!」

「じゃあ最初っから本体で俺とデートすりゃよかっただろ!? 試すような真似しないでさァ!」

 楽しかったと言ってくれたことは嬉しい。嬉しいのに、その隣で、別の何かがひどく惨めに喚いている。分からない。私だって自分が分かんない。

 頭の中が苦しいの。笑い声がする。

 癌の悪魔へ追加の対価を差し出そう。胃でも、肺でも、何でもいい。これは分身だから。私が壊れても、本体の寿命を少し減らせば新しい私が作られる。だからいい。いいの。

 しわがれた指に縋り付く。ねえ、私の内臓を食べさせてあげる。だからお腹がくちくなったら、少しでいいからひとりで静かに考えさせて。一人になった瞬間に襲ってくる、孤独という化け物から私を守って。

 人差し指を差し向けた瞬間、デンジくんのスニーカーが地面を蹴った。

「やめろっつってんだろ!」

 伸ばされた手を避ける。デンジくんはチェンソーを使わない。切れるはずの距離まで近づいても肩を掴もうとするだけ。それがますます腹立たしかった。頭に血が上って、咄嗟に癌以外の悪魔の名前を叫ぶ。照準がズレて、デンジくんではなくその後ろの建物を抉った。派手な音とともに、外壁が崩れ落ちた。

「あぁ!!? スティッチのエンカウンターが!! フクタイチョーひっでぇ!!」

「スティッチなんてどうだっていいでしょ!」

「よかねーよ! 子供の夢ぶっ壊しやがってェ!」

「あんなエイリアンどうだっていい! 今は私の話なの!」

「夢と希望はどーしたよ!」

「現実にはスティッチなんていないもん!」

 今度は外さない。もう一度デンジくんに指を向けて、叫ぶ。右腕の皮膚をごっそり取られた。凄まじい痛みと引き替えに、チェンソーマンの体がぺちゃんこになる。

「ギャ」

「あ、っはは、命中!」

 愉快な気持ちだった。なのに泣けた。両腕がひしゃげて、その場に倒れたデンジくんの元に駆け寄って、ああなんだか虫みたい。頭部のチェンソーは止まりかけていて、時々思い出したみたいに、ぎゅる、ぎゅる、と弱々しく回った。

「デンジくん?」

 返事はない。指先で頬のあたりをつついてみる。装甲が硬い。

「ぁ……え、死んじゃった?」

 これじゃあ困る。デンジくんに私を見つけてもらうゲームなのに、追いかけてくれる人が動かなくなってしまった。ひしゃげた腕のチェンソーへ自分の手首を押しつける。皮膚が裂けて、溢れた血をデンジくんの口元へ垂らした。飲んでいるのかどうかは分からないけれど、血は隙間へ吸い込まれていく。

「起きて。まだ始まったばっかりだよ」

 変形した胸元を探って、スターターロープへ指をかけた。ぐい、と引く。ぶるん。耳元でエンジンが吠えた。

「わっ、わっ!?」

 起き上がるより先に、デンジくんの手が私の手首を掴んだ。握り潰されそうな力で引っ張られ、そのまま地面へ組み伏せられる。

「捕まえた!」

「わああっ、ちょっ、ずるい!」

「副隊長に言われたかないね!」

 デンジくんが叫ぶ。装甲の奥でどんな顔をしているのかは分からないけれど、きっと今まで見た中で一番嫌そうな顔をしてるに違いない。

「……、……この手でレゼちゃんのことも絆したんだ?」

「はぁ? んでそこでその名前が出てくんだよ……」

「……羨ましくなったから」

 すごく意地悪な響きだった。だけどごめんね、これが私なんだ。震える指で頬を撫でる。

「なぁ」

「……」

「……俺ぁ副隊長ほど頭良くねーからさァ。ナゾナゾとか、そーいうの出来ねーし」

「……うん」

「だから。言ってくれなきゃわかんねーよ」

「……」

「頼み事すんなら、俺が出来ることの中からにして。そしたら、出来る限りは考えるから」

「出来ないことをやってくれなきゃ意味ないの」

 デンジくんの手が私の手首を掴んだまま、わずかに緩んだ。ガラスの靴を預けた部下頼みなんて嫌。その足で私を探して、みつけて欲しい。分かっている、これは子供の駄々だって。デンジくんが一瞬黙った。その隙に身体を捻って、拘束から抜け出した。立ち上がって数歩走る。けれど足に力が入らない。内臓の大半を失っているせいか、身体の内側が空洞になってしまったように軽かった。

「あっ、待って!」

「やだ!」

「逃げんな!」

「追いかけるのもゲームのうち、っ」

 背後でチェンソーが唸る。だめだ、このままじゃ追いつかれる。

「癌、の、」

「呼ぶんじゃねェ!」

 口を大きな手で塞がれた。噛みついてやろうとしたけれど歯が立たない。ぐっと身体を捻って逃げる。デンジくんの手から抜け出した勢いのまま、瓦礫の中へ転がり込んだ。

「副隊長!」

「来ないで!」

 崩れた建物の奥で、何かがぱちぱちと火花を散らしている。さっき私が壊したスティッチのエンカウンター。千切れた配線。ひしゃげた機械。甘い油のような、鼻につく臭い。デンジくんが顔を上げた。

「おい、そこヤベーぞ!」

「近づいたら、また攻撃するから!」

「バカ、そーいう話じゃっ」

 足元で、小さく火が上がった。

 次の瞬間デンジくんが私へ飛びついてきた。捕まえられると思って、反射的に両手を前へ突き出す。

「が、んの——」

「伏せろ!」

 強い力で頭を抱え込まれた。どうして。どうして私を庇うの。デンジくんの胸に押しつけられて何も見えなくなる。エンジン音の向こう側で、何かが破裂した。最初は小さな音だった。続いて腹の底まで揺さぶるような轟音がして、世界が白く弾けて。

 熱い、と思った時にはもう全身が焼けていた。背中から皮膚が剥がれていく。爆風に内臓を直接殴られて肺の中の空気が全部押し出される。声を出そうとしても喉が潰れて、代わりに血の泡だけが口から溢れた。

 痛い。いやだ。こんなの知らない。爆死するのって、もっと一瞬で、何も分からなくなるものだと思ってた。こんなに長いなんて知らなかった。身体が千切れても、焼けても、意識だけがいつまでも残っている。炎の向こうで、デンジくんが何かを叫んでいる。私を呼んでいるみたいだった。大丈夫。私は本物じゃないから、そう教えてあげたかったのに、もう唇がない。

 咄嗟にデンジくんの手を恋人繋ぎに握りしめた。

 ぎゅるぎゅると回るチェンソーに巻き込まれて、私の腕がまっぷたつに割れる。だけど意地でもくっ付いて、黒焦げになるまでずっとずっと手を握りしめてた。

 欠片でも彼の痛みを理解できたような気がして、嬉しかったから。

 よく夢を見る。幼少期の夢である。

 子供のころの私には家族が居て、ちゃんと居場所があって、庇護してくれる人間がいた。私は食卓のお誕生日席に座って、頭上で喋っている両親と姉の顔を見上げている。大人が喋っていることは分からないけど、皆が笑っているから私も真似して笑う。示唆的な夢だ。やがてウェイターが料理を運んできて、私はそれを見てこんな風に思う。

「この料理の話でなら、みんなの関心を引けるかも」

 だけど本当は料理の話なんてしたくなかった。私のことを見て欲しかった。私も輪の中に入れて。私のことを見て。誰にも言わずに、こっそりクローシュの下を覗き見る。

 お皿の上に乗っていたのは料理なんかじゃなくて──

 そこではっと目が覚めた。

 随分長い時間、眠っていたみたいだった。

 ああ、だめ、また分身を作らなくちゃ。そう思うのに手が動かない。死に際に感じた痛みが強すぎて、本体にまで痺れが伝播していた。ああ、知らなかったなあ。爆死するのがこんなに辛いだなんて。チェンソーで腕を切り裂くのがこんなに痛いって。こんな痛みを、何回も。

「見つけた」

 顔をあげると、シンデレラ城の入口に、足元の汚れたデンジくん。紙にヘアピンが留めてある。拾い集めたものを、ああ、私が叫んだの、気にしてたのかなあ。わざわざ拾って自分でくっつけたのかなあ。そんな場合じゃないのに、愛おしくて愛おしくて笑いが止まらない。

 時計の針は11時58分。

 ああギリギリまで探してくれてたんだなぁ……。……もう、これじゃあぜーんぶ私の負けじゃないか。どうして。上手に隠れたと思ったんだけどなあ。灯台下暗しって、嘘八百。

 でも、うれしかった。

 私、本気で勝つ気だった。なのにデンジくんにぺちゃんこに負かされて、嬉しい。

「デンジくんも、悪魔と一緒で鼻がいいんだっけ……? 広い園内で、よくここを見つけたねぇ……」

「別にそこはフツー。匂いで見つけたわけじゃねぇよ」

「じゃあどうして……」

「色々探し回ったあとで……いちばん最後に、なんとなくここかなって」

「……」

「最初はなんか、バックヤードとか探したけどさァ。……でも一旦冷静になって、副隊長が隠れるとしたら、ここが一番似合うと思ったから」

「ふ……あはっ、あははっ……。……ああ、もう、そんなの逆に嫌味だよ……!」

 笑った拍子に血を吐いた。短期間で無茶な使い方をしたから、寿命だけじゃなくって、内臓にも多少傷がついたみたいだった。これじゃあマキマさんに契約取り上げられちゃうかなあ。私も不死身だったら良かったのになあ。

 最初から分不相応な契約だった。

 私に力を与えたらこうなるって、他の誰よりも、私が一番分かってたのに。

 頭上のシャンデリアが揺れる。ラブホテルの安っぽいニセモノじゃない。正真正銘、本物のガラスのシャンデリア。だってここはお城だもの。小さくたって、お城だもん。狭いホールにスニーカーの音が響く。ぐちゅぐちゅ、にちにち、乾きかけの血にまみれた湿っぽい音を伴って。細い手首を捕まえられて。今更逃げる気もしなくって、大人しく彼の胸に飛び込む。嬉しい。ああ、嬉しいなあ。……デンジくんの胸の中はあったかい。

「捕まえた」

「捕まっちゃった」

「マジで、何がしたかったんだよ。こんな大立ち回りしてさァ」

「駄々を捏ねたかったの。……デンジくんが優しいから、甘えてたんだ」

「はあ?」

「デンジくんに、私のことを見つけてほしかった。……最初から、ずーっとそれだけが目的だよ」

 だってデンジくんは、私にとっての王子様だから。どんな私でもなくて、ホントの私を見て欲しかった。

 とびきり狂った世界には、とびきり狂った王子様。手綱の代わりにチェーンを引いて、ワインの代わりに血を飲んで。それって、なんて、すてき。こんなめちゃめちゃな世界なんだもん、王子様もおかしくなくちゃ。ガラスの靴なんて用意してないけど、でも、確かにデンジくんは見つけてくれた。

 私の願いは叶えられちゃった。もう、この気持ちも成仏できそうだよ。ひとりで満足しちゃってごめん。デンジくんの体を強く抱きしめれば抱きしめるほど、鮮明に心臓の音が聞こえた。私のこのうるさすぎる心音も、彼に伝わってるだろうか。

「……ま、よく分かんねーけど。この勝負はオレの勝ちってこと、で、いーんだよな?」

「ふふ……」

「忘れてねぇよなァ? 最初の約束」

「うん……なんでしたっけ」

「なんでも言うこと聞くんだろ! 12時過ぎたら……」

「そうじゃなくって。最初のルール、なんでしたっけ」

「え?」

 ぱ、と彼の胸から離れた瞬間、私の腕で小さな電子音が鳴った。ピピピピピ、ピピピピピ、カチッ。12時を告げる腕時計のアラーム音。ここで立派な鐘でも鳴ってくれたら、少しは演出になったのに。

「12時までに私の本体を捕まえてキスしてよ。そしたらなんでも言うこと聞いてあげる」

「……あ!!」

「まだキスしてもらってませーん! だからこの勝負は私の勝ちでーす!」

「ズッるぅ!! 待って、待ったっ、今からキスする! まだギリ12時1分になってねぇ!」

「っはは、やだ、もうだめ! んむっ」

 両手で顔をひっつかんで、顔中にめちゃくちゃにキスをされた。頬を両手で包んで、額、次に眉間。まぶた。鼻先。頬。少し震えながらだけど、ちゃんと唇にも。はしゃいだ犬に顔を舐められてるみたいでおかしい。ああ、そういえば昔見た映画にこんなシーンあったなあ。12時を過ぎちゃった女の子が、必死になってカエルに沢山キスするの。……あれっ、それは未来のことだったっけ? でももう全部今更か。

「ぷは……な。……これでも、ダメ?」

「ん、ん……ふふっ。だめ。……この勝負は私の勝ち。時計の針は戻らないー」

「う゛~~……ケチ! 鬼! 見つけてやったんだからそれでいーだろ!? オレ死ぬほど頑張ったんだけど!」

「だめ。勝負は勝負だもん」

「うええええ……」

 うなだれるデンジくんに、今度は私からキスをした。下から唇をくっつけて、何回か、確かめるみたいに。

「ねえ。負けたんだから、私のお願い、聞いてくれる?」

「……くれるも何も、最初っからそのつもりだろ。何言ったって無理やり言うこと聞かせるくせに」

「ふふっ。うん。ずるい言い方しちゃった」

 金髪にこびりついた血をぱらぱら払って、髪を撫でた。どうせこの後お風呂に入るのに、そうしないと落ち着かなかった。あのねデンジくん……私の、私の願いは。

「いつか君が死ぬ日が来るんだとしたら。デンジくんは……デンジくんとして、死んで。それが私の一番の願い」

 チェンソーマンとしてではなくて、デンジくんとして、ひとりの男の子として、人間として死んで欲しい。あんな全身を切り裂くような痛みの中あの時死ぬんじゃなくて、どうか安らかに息を引き取って欲しい。君の手を恋人繋ぎにしたあの瞬間、強く強くそんなことを祈ったから。

 それだけが私の願い。

 それだけを、私の最後の願いだってことにしておくから。

 本当の母親がきみに絶対に言わないことを、言えなかったことを、代わりに私が言いたかった。ねえ知ってる? 母親ってのはエゴの塊なんだよ。そして私はそのエゴがずっとずっとほしかった。10歳のときも、16歳のときも、そして今だって。ああそうだ。子供の頃の私は、誰かにこう言って欲しかった。破滅の道に突き進むのを、誰かに止めて欲しかった。人と寝るのも、悪魔と契約するのも。こうやって受け止めて、抱きしめて欲しかった。

 だけど私はもう子供じゃない。だったら抱きしめる側に回らなくっちゃ。

「……それだけ?」

「うん、それだけ」

「……」

「どうしてそんなこと聞くの?」

「副隊長は……俺のことが好きなんだって思ってた」

「へ? ……ふふ、それはもちろん、好きだよ?」

「それってマジんとこの話?」

「マジもマジ。かわいい後輩だもの」

「そうじゃなくて……」

「付き合ってとか結婚してとか、そういうことだと思った?」

「……うん」

「言わないよ、そんなこと。デンジくんにはマキマさんがいるんでしょー」

「……副隊長は、それでいいの」

 首の後ろに伸ばしかけた手で、少し迷って頬に触れる。

「もういいよ。ありがとう」

 あの時殺した推定子供の悪魔は、そこそこの悪魔だったそうで。

 二人っきりで大型の悪魔を倒したご褒美ってことで、ちょっとしたお手当をもらった。その額なんと二桁万円! 比較的高給取りな私だけれども、流石にこの額は結構嬉しい。

「アキが全部没収したから、俺の小遣い変わんねーんだぜ」

「貯金してくれてるんでしょ。それとも、買いたいものでもあった?」

「んん……そういう訳じゃねーけど……」

「ならいいじゃない」

「そーだけどさァ……」

「……でも、そうだね。納得いかないよね。じゃあお姉さんが良いお店連れて行ってあげる! 頑張ってくれたデンジくんに、私からご褒美」

 そうしてふたりで行ったのは、銀座の結構いいお寿司屋さん。カウンターに並んで座って、デンジくんはもの珍しそうにお店の中をきょろきょろしてて。子供らしい彼のしぐさに、逆隣のおじさまが微笑ましそうに目を細めている。きっと同じ年頃の子供がいるんだろうな、そんなことを思わせるような優しい顔で。

「とりあえずおすすめコースにしたけど……思春期の男の子って、八貫で足りるのかな」

「?」

「先付けがそれなりの量ですから。もし足りなければ追加もできますよ」

「あ、本当ですか? 良かったねデンジくん」

「? よく分かんねえけど、おう!」

「ふふふ」

 デンジくんって本当にかわいい。頭から全部たべちゃいたいくらい。作法なんてぐちゃぐちゃで、お行儀の悪いお寿司の食べ方をするデンジくんのことをずっとにこにこ見てた。デンジくんは何でもおいしそうに食べるから好き。私が食べきれなかった分まで吸い込んで、汁物も最後の一滴まで飲み込んで。いいなあ、いいなあ。そういう所が好きだなあ。

「高級寿司のデザートがコンビニのラクトアイスってのも、なんだか私たちらしくていいものですな」

 お寿司屋さんではデザートがなかったから。帰りがけのコンビニで、それぞれ一つずつアイスを買った。これはデンジくんの奢り。私はチョコミントアイスで、デンジくんはみかんのアイス。

「一口食べる?」

「……や、いい」

「どうして? もうおなかいっぱい?」

「そのミントのやつ、オレあんま好きじゃない」

「デンジくんに食べ物の好き嫌いがあるの!?!??!?」

「オレをなんだと思ってんだよ! ……そりゃ食えなかねぇけど、人から取って食うほどじゃねえってこと」

「そっか……や、そっか。そうだね、当然だね、確かに、食べ物の好き嫌い……そうだよね。君も人間だものね」

 ぱちぱちと瞬きをするとデンジくんは当たり前だろ、という顔で頷いた。考えてみれば当たり前のことだけど、デンジくんに限っては異常なことのように思えた。

 私って、自分で思うよりもずっとずっとデンジくんのことを知らない。好きな食べ物も、好きなファッションも。だけど苦手な食べ物は今教えて貰った。

「チョコミント、苦手なんだね。うん。ちゃんと覚えたよ」

「苦手ってほどじゃなくて」

「好きじゃないだけ? うん、分かった」

 デンジくんのことを沢山知りたいと思った。私のことを知ってほしいし、デンジくんのことを教えて欲しい。時間は沢山かかるかもしれないけれど、一つ一つ丁寧に覚えるから。君の初めてを沢山知りたい。それを近くで一番に見るのは、願わくは私であってほしい。そんなの、ちょっと贅沢言い過ぎかな。

「……でも、明日でデンジくん帰っちゃうんだね。アキくんの家に」

「お? おー」

「寂しくなるな」

「またいくらでも会えんだろ」

「職場で会うのは別だもの。……割り切ったつもりではいたけど、やっぱりすごく名残惜しい。また家では一人になっちゃう」

 いっそ私も早川家に住んで、リビングで雑魚寝させてもらおうかな? へらへら笑うとデンジくんは大真面目な顔で「じゃあ住めば」と返して来る。嬉しいけど、そういう訳にはいかない。私は姫野先輩のことが大好きだった。だから先輩に不義理はしたくない。これはせめてもの私のけじめ。

 だから、寂しがりを治す努力をしなくっちゃ。いつまでも誰かに甘えてられないもんね。

「じゃあ……さ、一緒には住んでやれねーけど。その代わり、オレが副隊長に酷い事したやつら全員ぶっ殺してやるよ」

「へっ? 酷いことしたやつら……??」

「子供んとき、大人に酷いことされたって言ってたじゃん」

「や……ま、うん、おぼえてたの、その話」

 そういえば、そんな話もした。私自身忘れてたけど。

「んで、そいつらのせいで寂しがりになったんだろ? じゃあ原因ぶっ潰したら……そしたら、『夜が来るのが怖い』ってやつも、ちょっと治るんじゃねーの」

 立ち尽くす私にデンジくんが笑う。

「オレはヤクザが死んだ時、明日が来るのが怖いって思わなくなったし!」

「……そうかな。そうなのかな」

「分かんねぇけど。……もしかしたら意味とかねーかもしんねーけどさ。でも、少なくともスカっとはすんだろ?」

「……、……うん」

 うん。スカっとする。唇の中で言葉を繰り返す。

「いいのかな、そんなことして」

「いいんじゃね? 俺、ゾンビになったヤクザの連中全員ぶっ殺したけど、別にな~んも言われなかったぜ」

「……それは。でも、私のはもう昔のことだから、もういいの」

「それ、この前も思ったけどさァ。副隊長が良くても、俺がよかねーよ」

「うぇ」

「俺の目の付くところでそんな顔されんのが嫌」

「なんで……」

「俺はまだ、副隊長とワンチャンあっかなーって思ってるし」

「へっ」

 だってさァ、と付け足して。

「副タイチョーさ、色々言って誤魔化してっけど、俺んことまだ好きだろ? 後輩とかそういうのじゃなくて……その、男性的なヤツで」

「……、……うん。好き。大好きだよ。この世の誰よりも大好き」

「ん……おう、知ってる」

「本当に知ってる? 私、君のことが好きで好きで、仕事中も早く帰りたいなって毎日ずっと考えてたよ。デンジくん今何してるかな、ご飯食べたかな、寂しくしてないかなって」

 すこしデンジくんの顔が赤くなる。気圧されたみたいに。デンジくんのこと、世界で一番好き。顔も、声も、髪も、手も、食べ方も、寝相も、靴を適当に脱ぐところも、たまに歯磨き粉の蓋を閉めないところも好き。だからもっと近くで見たかったな。やっぱりどうしても、名残惜しい。だけどもうそれは言わないって決めたから。

「じゃあ、さ。……ハタチになっても、副隊長が俺の事まだ好きだったら、そん時は……」

「そのときはもちろん、エッチさせてあげる。なんだってしてあげる」

 通行人がぎょっとした顔でこちらを振り返ったけれど、そんなこと少しも気にならなかった。放置されたパステルブルーのアイスから、もったりした雫が落ちる。

 じゃあ、約束。

 皆には内緒の約束。

 デンジくんがハタチになって、まだお互いのことを好きだったら。

 差し出した小指がお互いにベタベタしていて、絡めると肌同士がくっついて、そのベタつきさえ愛おしかった。

「……だから、殺して。私に酷いことした人たちのこと、デンジくんが全員、殺して」

「おう。ハタチになるまでに殺しとく」

「うん……わたし、待ってるから」

 言葉にしたらドキドキした。冗談であっても『殺して』なんて強い言葉を口にしたのは、もしかしたら初めてかもしれないと思った。

 脳裏に人の顔が浮かんでは消えて、その代わりに大暴れしているデンジくんの姿が浮かぶ。チェンソーマンじゃない。チェンソーを持った、タキシード姿のデンジくん。改めて考えてみたら、なんて野蛮な王子様だろう。夢の国には、まったくもって似つかわしくない。

 深く考えれば考えるほど、おかしくておかしくてたまらなくて、ニヤけ顔が堪えられなかった。

 その日の夜も夢を見た。いつも通り私が食卓に座っている夢だけれど、いつもと違って、お誕生日席の向かい側にデンジくんが座っていた。周りに大人は誰も居なくて、ウェイターもウェイトレスも来ることはなくて。だって、デンジくんが全員殺してしまったから。

 そうして無言で見つめ合ううち、自分がもう子供ではないことに気が付いた。気が付いたから、席を立って台所の場所を探した。

「デンジくん。今日のご飯、オムライスにしようと思うんだ。……作ったら、一緒に食べてくれる?」

 デンジくんは頷いて、それから笑ってくれて、私はそのときはじめて、自分の居るべき場所を見つけたような気がした。

* * *

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