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全 4,248 文字

「副隊長、海行こうぜ」

「やだ」

「なんで!?」

 今日は土曜日の時刻は午前七時。薄いカーテンの向こうから、もう十分すぎるくらい夏の日差しが差し込んでいる。私はクーラーの真下に布団を敷いて、タオルケットに包まっていた。頭から爪先まで完全防備。このまま秋まで一歩も外へ出たくない。あつい。お外は暑すぎる。むり。

 渡してある合鍵でドアをこじ開け我が物顔で乗り込んできたデンジくんは、両肩に荷物をぶら下げている。浮き輪、ビニール製のボール、あとは近所のスーパーの袋。それから斜めがけにした妙に大きい水筒。なんだか小学生の頃を思い出す出で立ちだ。友達と市民プール行く約束するとき、こういう格好の子、一人は居たよなぁ……。

「暑い」

「海行ったら涼しいって」

「行くまでが暑いぃ……」

「電車ん中クーラー効いてっから!」

「駅まで歩かないといけないよう」

「じゃあ背負ってってやる!」

「やだ。デンジくん汗臭そう」

「はああ!?」

 朝から元気だなあ。

 タオルケットの隙間から顔だけ出して、ぎゃあぎゃあ騒ぐデンジくんを眺める。白いTシャツにスイカのプリント。夏っぽい。まぬけっぽくてかわいい。海へ行くからなのか、下は膝丈の水着をもう穿いている。かわいい。髪も少し濡れていて、出がけにシャワーでも浴びてきたみたい。かわいい。かわいい。食べちゃいたい。君が未成年でさえ無ければね。

「そもそも、どうして急に海?」

「昨日テレビでやってたから」

「それだけ?」

「あと副隊長、最近ずっと家ん中でヘラヘラしてっから」

「え? ヘラヘラ?」

「ヘラヘラじゃねーな。ヘラってっから」

「ああ……失礼だなあ。そんなことないよ」

「夜中に俺ん家電話してきて、アキ起こして怒られてたじゃん」

「あれはちょっと声が聞きたかっただけ……」

「二時半に?」

「二時半に」

「それをヘラってるっつーんだろ!」

 そうかなあ。そうかもしれない。ここ数日は悪夢が続いていた。だからといって仕事を休むほどではないし、ご飯も食べているし、ちゃんと毎日お風呂にも入っている。昨日は三時間くらい壁を眺めていたけれど、壁を眺めること自体は悪いことじゃない。白くて綺麗だったし。

「海なら……任務で何回も行ったよ、今年の夏も。港とか、埠頭とか」

「それ遊びに行ったって言わねーよ」

「一回、悪魔に追いかけられて海に飛び込んだこともある」

「それのどこに楽しい要素があんだよ」

「んもう。……ともかくお出かけはいい。出不精なの〜」

 デンジくんが布の端を掴む。嫌な予感がした。

「いーから行くぞ! 出てこいデブ!」

「はあっ!? デブじゃなくて出不精! やだ! 日焼けする!」

「日焼け止め買えばいいだろ!」

「水着持ってない!」

「昨日買っといた!」

「は!? なんで私のサイズ知ってるの!?」

「知らねーから適当に買った!」

「絶対合わない!! ていうかお金は!?」

「後で請求する! レシートも持ってきてっから!」

「テメェマジでっ、きゃあ!」

 問答無用でタオルケットを剥がされた。冷気から突然夏へ放り出されて小さい悲鳴を上げる。抵抗する脇へ腕を差し込んで、デンジくんが本当に私を背負おうとしてくる! なんてこと、なんてことだ!

「分かった、行く! 行くから下ろして!」

「最初からそー言えよ、ったく手間取らせやがって」

「まっじっで、お前…………! ……はぁぁ。……でも午前中だけね。夕方までには帰るよ」

「なんで?」

「夜になるから」

 口にしてからちょっとだけ後悔した。もっと適当な理由にすれば良かったかもしれない。

「夜になる前に帰ればいいじゃん」

「うん。だから午前中だけ」

「無理あるってそれ。昼飯食って、アイス食って、それから帰る」

「結構長いなあ」

「せっかく行くんだから」

「んん……」

 適当に服を着替えて、鞄に財布と化粧道具を入れた。デンジくんが買ってきた水着は上下とも真っ青で、胸元に大きな白い花がプリントされてる。なーんじゃこりゃ。サイズは奇跡的に合ってるけど、なんというか、随分と健康的だ。

「これ、誰に選んでもらったの?」

「店のおばちゃん」

「デンジくんが女性用水着を持ってレジに並んだの?」

「おう」

「恥ずかしくなかった?」

「別に。上司が着るっつったら、すげー羨ましがられた」

「店員さんに?」

「後ろに並んでたオッサンに」

「はあ」

 まさかそのおっさんは「女上司」という字面からこんなちんちくりんを想像してはいまいよ。

 そんなこんなで電車に乗った。平日の通勤電車と違って、車内には浮かれた家族連れや学生ばかりいる。

「デンジくん、海初めて?」

「この前パワーとビームと……あっ、あとチビ女と海で遊んだぜ」

「そっか」

「副隊長は?」

「任務でなら」

「遊びでは?」

「……子供の頃にあるんじゃないかな。覚えてないけど」

 あまり記憶にない。家族で海へ行ったことがあっただろうか。アルバムには砂浜で撮った写真があった気がする。いや、どうだったかな。夢だったかも。覚えてない。

「じゃ、俺が副隊長に海での遊び方教えてやるよ」

「そういうことにしよっか」

「おう」

 デンジくんが嬉しそうに笑う。その横顔を見ていたら、なんだか私も少しだけ楽しみになってきた。

 眩しい。大きい。青い。ありきたりな感想しか出てこない。空と海の境目が分からなくなるくらい全部が青くて、白い波が何度も砂浜へ寄せている。潮の匂い。サンダル越しにも足の裏が暑い。遠くで子供の笑い声がする。

「うおおお、海だァ!」

「待って、日焼け止め!」

「後でいい!」

「後じゃ遅いよっ」

 仕方がないので後を追う。走ったらサンダルが脱げた。砂が熱い。足の裏が焼けそうで、ちょこちょこと変な走り方になる。先に海へ入ったデンジくんが私を見て笑った。

「歩き方キモ!」

「デンジくんだって変な走り方してたじゃん!」

「してねーよ!」

「してた。ゴリラみたいだった」

「はあ!?」

 追いついた瞬間にバシャ、と水をかけられた。一瞬何をされたのか分からなかった。髪から水が滴る。服もまだ着たままなのに。デンジくんは自分でも驚いた顔をしていて。勢い任せに手を動かして、想定以上に水をかけちゃったみたい。

「……デンジくん」

「いや、その」

「いい覚悟だね」

「ごめんなさ」

 言い終わる前に、両手で思いきり海水をかけ返した。

「うわっ、しょっぺ! 目! 目に入った!」

「あははは! ざまあみろ!」

「テメー!」

 そこからはもうぐちゃぐちゃだった。服を着たまま水を掛け合って、追いかけ回して、足を取られて二人で転んだ。溺れそうになったら頭が少しだけ冷えて、それからようやく服を着替えた。

 デンジくんが投げたボールは全部変な方向へ飛んでいくし、私は浮き輪に入ったまま沖へ流されかける。

「危ねーだろ!」

「足つくよ、ここ」

「波に攫われたらどーすんだよ!」

「デンジくんが助けてくれるでしょ?」

「そーいう問題じゃね〜!」

 怒りながら私を浮き輪ごと抱えて浅瀬へ戻す。子供を運ぶみたいな持ち方で。デンジくんって……デンジくんって、私のことを大人の女として見ているのか、保護対象として見ているのか、たまに分からなくなる。 浅瀬へ下ろされ、そのまま背中へ乗りかかった。デンジくんが悲鳴を上げて前へ倒れる。

「おもっ! 副隊長マジで重っ!」

「デブだから仕方ない〜♪」

「首締まってる! ギブ、ギブ!」

「デブだから首も締める〜♪」

「分かった、軽い! 羽根みてーに軽い!」

「嘘っぽ」

「じゃあ何て言えばいーんだよ!」

 波打ち際で二人して転がり回っていたら、近くにいた家族連れが笑っていた。なんだか少し照れくさい。

「なんか仲いいね、私たち」

「おう」

 当たり前、とでも言いたげに。あんまり簡単に認められるから胸の奥がむずむずする。私は人との距離を測るのが苦手。近づきすぎるか、遠ざかりすぎるか。好きか嫌いか、必要か不必要か。いつも極端な二択ばかり選んでしまうから。

 仲がいいという言葉は、なんだかちょうど良かった。

 軽くて、だけど確かな感じ。

 海の家で焼きそばとフランクフルトと、味の薄いシャバシャバのレトルトカレーを買った。1200円。ここぞとばかりにやってくれるよね、ほんと。デンジくんは全部を少しずつ食べたがって、結局私の分まで半分以上食べた。

「朝ごはんも食べてきたんだよね」

「食った」

「よく入るね」

「海入ると腹減るんだよ」

「はい、あーん」

「あー」

 デンジくんの耳がちょっと赤い。日焼けかな。

 日差しは強いけれど、パラソルの下を通る風は思ったより涼しい。波の音がずっと聞こえる。ざあ、ざあ。寄せて、引いて。誰に聞かせるわけでもないのに、何度も同じことを繰り返している。

「ねえ、デンジくん」

「んー?」

「どうして海に連れてきてくれたの」

「だからテレビで見たから」

「それだけ?」

「んー……あ、あと。副隊長、家にいても全然楽しそーじゃなかったから」

「そうかな」

「うん。俺がゲーム誘っても、ぼーっとしてたし」

「あ、ごめん」

「謝ってほしいわけじゃねーけど。楽しいことしたら、ちょっとはマシになるかなって思っただけ」

「……マシになったよ」

「マジ?」

「うん。すごく楽しい」

「そっか」

 デンジくんは満足そうに笑う。

 今日ここにふたりきりであることが、うれしい。

 日が沈んで、人が少しまばらになって。

 潮風に乗って運ばれてくる、日焼け止めと潮の匂い。少し汗臭い、犬っぽさも混じったような匂い。でも嫌じゃない。砂浜の上に並んで座って、グリグリと濡れた髪を肩に押し付ける。

「もうすぐ夜だね」

「おー。思ったより長居したな。……もっと早く副隊長が帰りたがると思ってた」

「そんな人をわがままみたいに……」

「ワガママじゃん。すげーワガママだろ」

「んんん……」

 まあ否定は出来ないけど。

「暗くなったら、手を繋いで駅まで行ってね」

「別に暗くなる前でも繋いでやるよ」

 デンジくんが手探りで私の手を探してる。指先が何度か砂を掻いて、それから私の小指に触れる。私の方から指を絡めた。

「……恋人繋ぎだけど、いいの?」

「なんで」

「普通はこう、もっと軽く持つんだよ」

「別に……これでいいよ」

 指と指の隙間を埋めるように強く握った。デンジくんも握り返してくれる。

「また来ようぜ」

「うん」

「次はアキとパワーも連れて」

「……二人でがいいな」

「あ?」

「次も二人で来たい。じゃなかったら、来ない」

 少しの沈黙。それから、繋いだ手にぎゅっと力が入った。呆れられちゃったかなあと振り返った瞬間、こつんと額を合わせられる。

「じゃあ、次も二人で来ようぜ」

「……う、ん。……また連れ出して」

「うん」

 波が寄せては足元まで届かないうちにまた海へ帰っていく。

* * *

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