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全 7,754 文字

新人の面倒を見るのが嫌になったのはいつ頃からだったか。

 最初のうちは、見慣れない顔が増えることを喜んでいた。人手が増える。生き残ればいずれ背中を預けられる相手になるかもしれない。そう思った人間ほど先に死んだ。よしんば生き残ったとしても音を上げて民間に移るのがオチ。

 もうずっと辟易としていた。

 上司が自分を見限って教育から外してくれたらいいのに。いつもそう思っていた。だから明らかに向いていない新人を見つけると、任務に出る前に叩きのめすようになった。男でも女でも、若くても中年でも。立てなくなるまで殴って、公安を辞めさせる。悪魔に殺される前に。手足や目を失って、生き残ってしまう前に。

 恨まれるくらいなら別に構わなかった。目の前で無意味に死なれるよりは、そちらの方が余程よかった。

 何回目かの新人研修。悪魔の名前は「深海」で、出現位置は水族館。被害者数は既に相当で、討伐に向かった民間デビルハンターはもう三社も返り討ちにされている。

 どう考えても”まずい”案件だ。

 そもそも民間でどうにもならなかった悪魔の処理をするのが公安。そういう性質上仕方がないとはいえ、この誰がどう見ても難易度の高い任務に新人を向かわせるというのはどうか。不安な心持ちのまま水族館の廊下を歩く。後ろをついてくる新人はこれが初めての任務のはずだ。にもかかわらず緊張している様子はなく、左右の水槽へ忙しなく目をやっては、時折わあ、と小さく声を上げている。

 その態度に苛立った。これがどれだけ危険な任務なのか理解していないのだ。最近はそういう新人が殊更多い。

「悪魔って、どこにいるんでしたっけー?」

「語尾を伸ばすな」

「む。……悪魔って、どこにいるんですか?」

「……。……報告じゃ、今は餌を保管してる地下の冷凍庫付近に引きこもっているらしい。正確な場所は分からない。油断するなよ」

「はあ。それで今はこうして、水槽の前を歩き回ってるんですね」

「ああ。地下に行くのは明日からだ。今日は館内の構造を頭に入れる」

「なるほどお……」

 本当に分かっているのか怪しい返事だ。ますます頭に血が上ってくる。休館状態の水族館に響くのは、濾過装置の低い音と、二人分の足音だけ。

 天井まで水槽に覆われた海中トンネルへ入ると頭上を大きなエイがゆっくりと通り過ぎて、わあああ、と能天気な歓声が上がって。

 いい加減本気で怒鳴ってやろうかとアキが振り返った瞬間、新人がにわかには信じられないことを口にした。

「ねえ早川先輩。なんだかデートみたいですねえ」

「……は?」

「そう思いません? ここのトンネル、すごくロマンチック!」

 は……はあ?

 返事を返さないアキのことなど意に介さず、頭上を見上げたまま、嬉しそうに笑う。

「……お前、いい覚悟してるな」

「ほえ?」

 間抜けな声とともにようやく上を見上げるのをやめた新人の腹へ、問答無用で拳を叩き込んだ。

「ぐえーっ!」

 悲鳴と共に新人の身体が折れる。口元を押さえたまま数歩よろめき、その場に膝をついた。胃の中身までは出さなかったが、しばらくはまともに息もできないだろう。

「明日は俺一人で向かう。お前はもう公安やめろ」

「ひ……ひどい……なんで、こんな……」

「お前みたいなやつを任務に連れて行ったところで足手まといにしかならねぇんだよ」

「そ、そんな……採用してくれたひと、は、私のこと、つよいって……」

「はっ」

 思わず鼻で笑った。人事部は採用ノルマの為に平気でうそをついて人をおだてて、死ぬとわかっていて現場に新人を寄越してくる。こいつもその口車に乗せられたのだろう。

「俺の優しさが伝わらないかなあ……」

「うう……」

 新人は腹を押さえたまま立ち上がらない。恨めしそうな目で見上げられたが知ったことか。普通ならこれで心が折れる。少なくとも、明日ここには来ないだろう。

 と。……ころ、が。

「んま、んま。この水族館有名なんですね。駅前でここのアザラシにかこつけた『アザラシまんじゅう』ってのが売ってたから買ってみたんですけど、甘じょっぱくておいしいです! 一個たべます?」

「もう来るなって言っただろ、昨日……」

「んー? え、あれ、昭和のジジイの『てめぇなんかもう辞めちまえ!』的なことだと思ってたんですけど、ちがいました?」

 翌日も新人は平気な面をして水族館の前に立っていた。どう見ても土産用の饅頭の紙包みを開けて、半分近く空になった二十個入りの饅頭を一人貪りながら。

「……それ、どうする気だ。中で絶対荷物になるだろ」

「え! ……あっ確かに……でもあれです、スーツのポケット広いので! 五個くらいはポケット入りますよ」

 絶句した。他の後輩を連れた姫野は、爆笑しながら床を叩いている。

「置いていけ」

「ええっ」

「遊びに来たんじゃねえんだぞ」

「でもまだ八個も……」

「また殴られてえのか」

「う……ひどい……もったいない……」

 心底惜しそうに紙包みを見下ろしたあと、新人は残っていた饅頭を一つ掴んで口へ押し込んだ。続けてもう一つ、さらにもう一つ。頬をいっぱいに膨らませたまま、紙袋を水族館の受付台へ置く。

「……お前、今いくつ食った」

「みっふ」

「喉に詰まらせて死んでも置いていくからな」

「ひほい」

 もごもごと音を立てながら顎を大きく動かしている後輩を横目に、姫野がアキの肩を持つ。

「凄い子引いたね」

「最悪ですよ」

「だけどこの子は生き残りそう」

「あるいは二秒で死ぬかでしょうね」

「いつもみたいにボコさなかったの?」

「ボコした上でこれだったんです」

「おやまあ」

「はああ……」

 そうして悪魔との戦闘へ。

 結果から言えば、聞こえほど大した悪魔ではなかった。少なくとも中堅にとっては。

 けれど現場に入りたての新人にとってはどうか。

 誰のモノとも知れない血痕の上で、ぼんやりタバコを吸っている。狐を使って悪魔を雑に噛み殺したせいで、悪魔の肉片があたり一面に散らばっていた。一歩歩くたびにシャリ、という音と共に何かを踏み潰す。悪魔が冷凍庫から引きずり出しては回復アイテム代わりに食い散らかしていた人間の肉である。誰かしらの肉片だと思うと床に擦りつけることもためらわれて、泣きそうになりながら靴を脱いだ。溝の隙間に、長い茶髪が挟まっていた。

 新人たちの姿が見えない。

 地下の暗所でのことだったから、戦闘中は新人の生死にまで気を配れなかった。

「アキくん」

「はい」

「私の連れてた新人、死んじゃった。伏さんのとこの子も全滅だって」

「……そうですか」

「まあ現場からしたら分かり切ってたことだよねー。なむなむ」

 返事をする気にはなれない。……やはり、彼女は死んでしまったのだろうか。これでは昨日あんなことをした意味がないじゃないか。苛立って壁を殴った。姫野が目を丸くして、けれどもなにも言わずに微笑む。

 そんな一幕が、あったのに。

「お、おひょかったれふにぇ、へんはい!」

「………………ここで何してる」

「ん? んん~~……んくっ。んーと、戦闘が終わったので、アザラシまんじゅうのこと気になって! 腐ってるかなって心配してたけど、なんか味的には大丈夫そうです!」

 悪びれる様子もなく饅頭へ手を伸ばしている。箱の中にはあと二つ。ここに預けたときには、まだ五個残りがあったはず、だが。

「お前、自分がここに何しに来たか分かってんのか」

「悪魔を倒しにです」

「ならどうして戦闘が終わったあと真っ先に饅頭の心配をする」

「役目が終わったからですけど……」

 だって掃除は警察の仕事。なにかおかしいですか、とでも言いたげに首を傾げる。

「怪我は」

「してません」

「その血はなんだ」

「これ、私のじゃないです。途中でちっちゃい悪魔がいっぱい出てきたので……噛んでくるから、頭を持って壁に叩きつけてたらこんなことに」

「……何匹いた」

「分かりません。たくさんです。強いのがいるからおこぼれ貰おうって集まって来てたんですかねー?」

 新人は饅頭を咀嚼しながら、空いている手で受付の向こうを指差した。「そこに生け捕りにしてありますよ」。その先には従業員用の扉がある。床にはそこから続く黒い足跡が点々と残されていた。よく見れば足跡の脇に、引きずったような太い血の筋もある。

「はあ……。……なにはともあれ、生きてて良かった」

 車の中で「お、お、お腹が痛いよう! 昨日先輩が殴ったせいだよう!」と泣きわめく新人を「炎天下で放置した饅頭なんか食うからだろ!」と怒鳴りつけるのは数時間後のこと。

「どうして右から回り込んだ」

「近かったので」

「敵の右腕が空いてただろ。あそこで掴まれたら終わりだとは思わなかったか」

「でも掴まれませんでしたよ!」

「結果の話をしてんじゃねえ!」

「ああもううるさい!」

「うるっ……うるさい!? お前今俺にうるさいっつったか!?」

 悪魔の死体の前でぎゃあぎゃあと喚きあっている。水族館の一件で四課の新人が全員死んで、ひとりあぶれた新人は未だにアキと姫野と行動していた。「二人にプラスワンなんてアウェイです! 嫌です! 私にもバディをください!」と駄々をこねていたが、人が居ないことには仕方がない。

「早川先輩、私のこと嫌いなのに、よく見てますよね」

「お前が問題ばっかり起こすからだ」

「好きの反対は無関心って言いますよ」

「その理屈ならお前のことは殺したいほど好きだな」

「ひい! ……嬉しくない~~♪ はやかわせんぱいは~~昭和のじじい~~♪」

「てめえ本気で殺すぞ!!!」

 がしかし『こんなの』であっても新人唯一の生き残りであることに変わりはなく。悔しい上に死ぬほど腹は立つが……。

「せんぱいのがんこじじい~♪」

「アキくんは~♪ がんこじじい~♪」

「アンタまで乗るな!!!」

 ……ぶっ殺したいほど腹は立つが、しかし彼女は確かに強いのだ。感情と実利を天秤にかけては血管を切りそうになる日々である。あとから知ったことだが、彼女が言っていたところの『採用してくれたひと』とは、岸辺隊長のことらしい。

 そりゃ強いはずだと思うと共に、これが隊長の言うところの頭のネジが外れている、というやつなら、一生理解したくないとも思う。

 そんな調子で、彼女は強い上にやたらと目立つので、大型新人(意味は様々)が入ってきたという噂が回るまでそう時間はかからなかった。となれば始まるのはバディの争奪戦である。強い子がいるなら俺につけてくれ。いや、私に付けてください。だれだって相方は強い方がいい。彼女は引く手あまただった。

 とはいえ、何事も上手くはいかなくて。

「わーん! せっかくバディができたのに、死んじゃったからまたここです! もう早川先輩はヤダーッ!」

「二回目のバディも死んじゃいました。ごめんなさい。また三人でよろしくお願いします」

「……ごめんなさい。また死なせちゃいました。今度は大丈夫って、思ったんですけど」

「ごめんなさい。ごめんなさい。……だけど、だけど……」

「……」

「……今回は全部私の落ち度です。もう言い訳しません。ごめんなさい」

「…………」

「…………ごめんなさい……」

 一年近くが経って。災難だったね、次はいい人に当たるよ。彼女の報告書を手伝って、酒を奢って。二度目も大体同じだ。三度目には酒が缶コーヒーへ変わり、四度目になると誰も慰めの言葉を口にしなくなった。慰めたところでどうにもならないと皆が分かっている。

 実際彼女は強かった。

 足手まといを連れていても、一か月は面倒を見れるほど。並の任務なら二人分働いて補うことができた。だからこそ押し付けられる。実戦経験のない新人。契約悪魔との相性が悪い者。怪我から復帰したばかりの者。単独では不安が残るが、彼女と組ませれば現場へ出せると判断された者。

「連絡くらい入れろ」

 酷く散乱した現場で、座り込む彼女を一番に見つけたのはアキだ。何人目かも分からないバディの亡骸がすぐそばにある。

「携帯、壊れちゃって」

「誰かに借りればよかっただろ」

「私以外全員死んだのに、どうやって借りろと言うんです」

「……」

 時計の針は十二時を回って、もう終電が無い時間。今から戻って報告書を書いて、各所への報告をして、悪魔の死体の利用許可を出して……。

「お前、最近寝てるか」

「寝てますよ」

「日に何時間」

「ええと……」

「答えろ」

「寝てますってば」

「何時間だ」

「細かいなあ! そういうところ本当に嫌い!」

「嫌いでもいいから」

 その声があまりにも切実で。おずおずと顔を上げて、真っ青な瞳を、真正面から見る。

「……ほんとに、少し眠いだけです」

「……今日はもう帰れ。俺が車で送るから」

「でも、なにかあったら……」

「お前がいなくても公安は回る」

「……知ってますよ」

「分かってねえだろ」

「分かってますって。私一人いなくなったところで、代わりなんていくらでもいます」

 口にしてから不思議そうに瞬きをして、それから「あれ、今の感じ悪かったですか」と首を傾げる。ごめんなさい、寝不足だからかな。何回目かも分からない謝罪。

「……お前はまだ公安に入って一年も経たないんだ。無理はするな」

「だけど先輩よりつよいも~ん……」

「だから」

 そうやってとぼけて無理をするのを辞めろ。そう口で言っても伝わらない気がして、下唇を噛んで、離して。相当煮詰まっているこいつに、俺が出来ることは、何か。

「なあ」

 彼女の目の前にしゃがみ込む。

「はい……?」

「これから海にでも行くか」

「はい?」

「行くぞ」

「はい!?」

 無理やり手を引いて立ち上がらせた。そのせいで、彼女の体にもたれかかっていた死体が音を立てて横に倒れる。

「ちょ、ちょっと!?」

「なんだ」

「なんだって、色々あるけど……現場から抜け出すのは流石にまずいですよ!」

「お前が言うか」

「へっ」

「後片付けは警察の仕事なんだろ」

「そっ、それっ……昔のことでしょ!?」

 動揺しているのが嫌に新鮮に見えた。血まみれのスーツを引いて走る。足の裏に肉片が挟まったけれど、気付かないふりをした。

┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈

 さっきまでは現場を離れるなんてまずい、戻りましょう、と騒いでいたのに、いつの間にか窓へ頭を預けている。

 寝ているのかと思ったが、街灯の明かりが差し込むたび、薄く開いた瞼が光った。

「寝た方がいいんじゃないか」

「寝たら着いちゃうので」

「起きてても着くだろ」

「そうじゃなくて……」

 それきり黙る。膝の上に置かれた手は乾いた血で赤黒く汚れていた。爪の間にも入り込んでいる。誰の血なのかは聞かなかった。午前二時を過ぎ星の見えない深夜。防波堤の向こうから波の音が聞こえる。夏場とはいえ深夜の海岸に人影はなくて、離れた場所に停められた車が一台暗闇の中で波に揺れるように見えただけ。

「着いたぞ」

「……ほんとに海だ」

「だからそう言っただろ」

「本気だと思わないじゃないですか。現場から後輩を拉致して海に連れてくる先輩がどこにいるんです」

「ここにいるな」

「……先輩って、もっとつまらない人だと思ってましたよ?」

「それはどういう意味合いなんだ」

「褒めてます。すごく……」

 瞳に星が反射してきらきらと煌めいて。彼女は血の乾いた上着を抱くようにして辺りを見回して、それから不安そうにアキを振り返る。

「それで、海で何をするんですか」

「知らない。泳いだらどうだ」

「はあ!? なんてこと言うんです! 夜の海で泳いだら死んじゃいますよ!」

「お前、意味が分からないことをするの得意だろ」

「はあああ~~~!?」

 騒ぐ彼女を黙らせるように、途中のコンビニで買った袋を押しつける。水とタオル、それからコッペパンが二つ。小倉トーストといちごじゃむ。「やっぱり昭和のジジイじゃないですか。ジジイのパンですよこれ」「何か言ったか」「いえ何も」だけどどうして、おにぎりよりパン派だってバレてるんだろう。

「食欲ないです」

「無くても食え」

「無理ですよ。今さっきまで人が死んでたんですよ」

「昔は腐った饅頭食ってただろ」

「もう、早川先輩のこと本当に嫌い」

 パンを袋へ戻し、水だけを持って砂浜へ下りてゆく。波打ち際まで近づきしゃがみ込む。ペットボトルの水を少しずつ手へかけると、薄まった血が指先から砂へ落ちた。何度洗っても爪の間までは綺麗にならない。

「貸せ」

 隣へしゃがみこんで手首を掴む。抵抗はしなかった。タオルを水で濡らし、指を一本ずつ拭っていく。

「……子供じゃないですよ」

「子供みたいなことばっかりするだろ」

「それとこれとは関係ないです」

「なら大人しくしてろ」

 拭っても拭っても布には血が移って。まるで徒労。なのに手は止めない。波が寄せ、スニーカーの先を濡らして。

「あっ」

「どうしました?」

「……靴下まで水が染みた。つめたい」

「ふっ……あははっ、わたしも。さっきからもうずっとそうです」

 ようやく少し笑った。つられてアキも微笑む。

「先輩て、けっこう無責任ですね」

「お前ほどじゃない」

「私のどこが無責任なんですか。責任ばっかり押しつけられてるのに」

「押しつけられたもん全部拾うからだろ」

「拾わなかったら、誰かが困るじゃないですか」

 手首に引っ掛けたビニール袋をぶんぶん回しながら、二人で防波堤へ腰を下ろした。

「私たちの場合は、それで誰かが死ぬんですよ」

 靴を脱いだ裸足を砂へ埋めて、つま先で何度も小さな山を作っては崩して。しばらくは互いに何も言わなかった。

 波の音が絶えず聞こえている。

「水族館の方が綺麗ですね。……やっぱり、今日よりあの日の方がよっぽどデートみたいでした」

「連れてきてもらっておいてそれか」

「だって真っ暗で何も見えないし。魚もいないし」

「いるだろ。見えねえだけで」

「それだけじゃないですよ! ここはロマンチックでもないです。先輩が水族館でのことを反省して、今度こそ本当のデートに連れてきてくれたのかと思ってたのに」

「もう一回腹殴られてえのか」

「すぐ暴力!」

 久しぶりに聞いた大きな声だった。腹を庇いながらアキから身を離して、それから、自分でも驚いたように黙った。少し遅れて、肩を揺らして笑い出す。

「笑ったらお腹がすきました。パンたべます」

「そうしろ」

「んふふ……」

「……なんだよ」

「いえ。なんか、久しぶりだなと思って」

「何が」

「先輩に怒られるの。うれしい」

 その言葉に胸の奥がひどくざらついた。

「だったら、これからも好きなだけ怒ってやるよ」

「嫌です」

「どっちなんだ」

「怒られるのは嫌ですけど、先輩が普通なのは好きです」

 よく分からない。口元にジャムがついている。指摘すると、舌で適当に舐め取ってから、今度は食べかけのコッペパンをアキへ差し出した。

「早川先輩も食べます?」

「いらねえ」

「おいしいですよ」

「腹は減ってない」

 押しつけるように差し出され、仕方なく一口齧った。彼女は満足そうに頷く。

「私好きですよ、先輩のこと」

「は……」

「海、連れてきてくれてありがとうございました。明日からもまた頑張ります」

 驚いて顔を上げると彼女はなんでも無さそうな顔をしていて、悔しいような歯痒いような絶妙な気持ちになった。

「また私がダメになったら、こうして励ましてくれます?」

「ああ。何回だって連れてきてやるから」

「だから公安をやめるなって?」

「……よく分かってるな」

「ふふ。私も頑張ります、先輩のお手伝いするの。二人でたくさん頑張って、銃の悪魔をぶっ殺しましょうね!」

 夏の潮風が二人の髪を撫でてゆく、穏やかな早朝のことである。

* * *

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