← 小説一覧へ

常 温 保 存

小説 21

全 24,035 文字

「男の付き合っちゃダメな職業3B……ってのに対抗して、最近は、簡単にヤれる女の職業3Dってのがあるんだってさ」

 と、咥えタバコをしながらおもむろに姫野先輩が言ったので、布団に寝っ転がったままなんですかそれ、と聞き返すと、先輩は片方しかない目を細めて笑った。

「なんだと思う?ちなみに一つ目はデンタルアシスタント……つまり歯科助手で、二つ目はディレクターだって」

「酷ーい。それ、とんでもない職業差別じゃないですか」

「まあまあ、ちょっとした与太話だよ。ね、正解……なんだと思う?」

「先輩が私に聞くってことは、どうせ正解はデビルハンターなんでしょ」

「はははは!せいかーい!」

「んもう」

 そのまま布団に寝っ転がろうとする姫野先輩に、「ちょっと、寝タバコは危ないですよ」とそう注意する。でも先輩は、何度指摘しても寝タバコを辞めてはくれない。そういう所がちょっといやで、でも同じくらい可愛くて、好きだった。

「……えへへ。姫野先輩とキスする時は、いつもタバコの味がします」

「かくいう君からは、いつもあまーいいちごの味がするよ」

「んひひ。なんですか、それ。いちごなんて食べてませんよ」

「ふふ」

 わたしたち、簡単にヤれる女仲間だねぇ。

 その言葉に、姫野先輩がなんと返して欲しかったのか、未だに私には分からない。だからいつも何も言わずに、黙って先輩の瞼にキスをする。

 4課の人員が銃撃騒動で壊滅してしまったので、3課で働いていた私が穴埋めに入ることになった。

「どうして君が4課の補充人員に選ばれたのか、分かる?」

「うーん。3課の男ほぼ全員と寝て、人間関係がギッスギスになったからですか?」

「分かってるなら大丈夫だね。今度の4課は魔人と悪魔を中心に構成するつもりだから、もう3課みたいな騒動は起こしちゃダメだよ」

「はいはーい。……ていうか、それもあるけど。姫野先輩が死んじゃったから、私をそのポジションの代役にしようって魂胆ですよね?」

「さあ」

「いやー、姫野先輩ついに死んじゃいましたかーって感じですよ。長生きするタイプじゃないだろーなーとは思ってましたけど」

 ちょっぴり間の抜けた沈黙が落ちる。最近知ったことだけれど、マキマさんは都合が悪くなると黙って目を細める癖があるらしい。10代の頃から数えて8年近くデビルハンターをしている中で、数少ない発見のうちの一つだ。

「君には、暴力の魔人と新人の女の子、2人の面倒を見て欲しいんだ」

「暴力の魔人、そりゃまた恐ろしい響きですな。……新人の女の子っていうのは?」

「説明するより会う方が早いよ。個人レポートを渡しておくから、確認しておいて」

「はあい」

 マキマさんっておひとは、丁寧なんだか、雑なんだか。まあ雑寄りかな、あの人なんか知んないけど時々人間に擬態してるエイリアンみたいなこと言ってる時あるし。

 4課のみんなが待機しているらしい公安本部入口まで、歩きながらざっと4課の書類に目を通す。まずは言うまでもなく岸辺隊長。酒浸りのこわーいおじさん。それと早川アキ、こいつはよく知ってる。死に急ぎ野郎。顔は見たことある新人のコベニちゃん。内気だけど可愛い子。デンジくんは……最近流行りの心臓チェンソーくん。蜘蛛の悪魔は人型だね。ふむふむ。天使の悪魔、これも人型。血の魔人ちゃんはおやすみ中で、その穴埋めに……

 そして最後のページを開いた時、はた、と足が止まった。小さくはない衝撃を消化するように何度も目を瞬いて、ちょっと動悸で冷や汗。……まさかね。いくら人間に擬態したエイリアンとはいえども、そこまで人の心がないお方ではありますまい。

「……しっかしなんじゃこりゃ!4課、純粋な人間より悪魔の方が多いやないかーい。しかもそのうち二人は化け物の岸辺隊長と早川アキ!?いやーきちぃもんがあるね!」

「化け物で悪かったな」

「ぎょぎょぎょ!」

 噂をすればなんとやら。気が付くと真後ろに岸辺さんが立っていたので(この人は図体の割にいつも足音がないのでとても恐ろしい)びっくりしてひっくり返っていると、襟首を掴まれて持ち上げられる。

「お久しぶりです岸辺さん、お元気で?」

「今日からは4課だろ。岸辺隊長と呼べ」

「はいはい、岸辺隊長。今日からよろしくお願いしますね」

 返事は無い。公安の偉い人っていうのはいつもこうだから困る。挨拶もできないとは、参るね。首根っこを掴まれたまんまエントランスにまで引き摺られて、そのままポイ、と床に放り投げられたので、さすがにこの扱いは人道に反しているのではないかと抗議したくなったが、あとが怖いので黙って置いた。

「お前ら、今日から公安対魔特異4課の副隊長になる女を連れてきた。お前らにネジの緩め方を教えてくれる先生だ。今日から俺が居ない時はこいつの判断に従え。以上」

 寝っ転がったまま天井を仰いだ時、一番最初に目が合ったのは、心底不快そうに顔を歪めた早川アキの顔である。見せつけるように、天井に向かってダブルピースを突き出してみる。

「……よっろしくねーん!」

 憤死しそうな顔のアキくんに「いつまで寝てる気だ、お前」とまた首根っこ掴まれたり、天使の悪魔くんにゴミを見るような目で見られたり、まあ色々あったりしつつ、無事に4課の副隊長に出世?した私である。

 副隊長にされたこと自体は全く私の意思ではないので罪悪感など欠けらも無いが、唯一申し訳なかったことといえば「ひゃえ……へへ、ふっ、副隊長さんが、直々に面倒を見てくださるなら……安心ですね……!」と、コベニちゃんが純粋な顔で笑っていたことくらいか。眩し〜〜目が潰れる。ごめんね、私岸辺隊長どころか多分アキくんより弱いよ。なんで副隊長にさせられたのか私がいちばんよく分かってない。

 なのでせめてできる罪滅ぼしといえば、沢山美味しいものを食べさせてあげることくらい。

「えへへ、クレープなんて、初めて食べました……。どこから食べるか迷っちゃいます。こんなにクリームたっぷりで、果物もたくさん載ってるのが普通なんですか?」

「ふつーふつー。コベニちゃんは健気だなー、その辺の屋台クレープの安いクレープなのに。食べたかったら何度でも奢るから、いちいち感動なんてしてないで軽ーく食べちゃいなさいな」

 聞いたところによると、彼女は大家族の生まれなんだそうで。高校卒業と同時に両親に風俗行きかデビルハンターになるかのどちらかを迫られ、泣く泣くデビルハンターになったと聞いている。その情報を知っているから無意識のうちに身の上に感情移入している部分もあるのかもしれない。

 これまでに、ケバブと、たい焼きと、たこ焼きと、あとクレープとワッフルとチュロスは食べさせたから……そろそろ新しい驚きをあげたいよね。今度は原宿あたりのとんでもないデカ盛りクレープを三人で食べに行くのもいいかも。クレープなのに、プッチンプリンとかが丸々一個乗ってようなやつ。……うん、楽しそう。

「副隊長ー! コベニちゃーん! 食べてるとこ悪いけど、本部から討伐要請来てる! 急いで急いで!」

「ありゃりゃ、間が悪いな。ほらコベニちゃん、急いで急いで!」

「んえっ!」

 慌ててクレープを食べて、顔中クリームまみれになっちゃったりする所なんかも、健気っぽくてかわいい。

 実際の所、私なんかが居なくっても、このふたりなら何とかなるんじゃないのー?と、思う。副隊長なんて仰々しい役職ぶん捨てて、私は監督官兼、書類処理係兼、どうしようもなくなった時の保険兼、ごはん奢り係って立ち位置で通せそうなくらいには。

「暴力くん、相手はなんの悪魔?」

「足音の悪魔とかなんとか?」

「足音?何それ、地味に強そー。んーとりあえずいつも通り動こう!コベニちゃん、暴力くん、いつもの通りにね」

「あっ、ひゃっ、ひゃいい!」

「はいよ!」

 暴力の魔人くんはデバフを受けてても並大抵の事じゃ揺らがないくらい強いし、コベニちゃんもびっくりするくらいよく動ける。(基本的に暴力くんを出しとけばたいていの場合は何とかなるので、コベニちゃんと私は完全に補佐っぽくなっているところはあるけど)ふむふむ、流石はマキマさんが直々に目を掛けているだけはあるな、といった次第だ。

 そしてなにより2人の素晴らしい点は、

「副隊長〜!ちょーっとこの悪魔、俺と相性悪いかも〜!厳しい!」

「ありゃりゃ、まあ……足音の悪魔ってどう考えても物理攻撃とは噛み合わせ悪そうな名前してるしね。うーん、コベニちゃん、行けそう?」

「あっ、ひゃっ、ひゃええ!」

「今日はダメそうだね。よし暴力くん、代わるよー!」

 ダメだった時の諦めがとんでもなく早いとこ。力量を見誤らない、というのはとても大事なことだ。無駄に足掻いて辛勝なんて漫画みたいな展開、現実にはそうそうないんだから。そういう時のためにベテラン枠の私が付いているわけだし、遠慮なく甘えられるのはとっても優秀。それに何より、私が嬉しい。

 私の素のスペックは据え置き……というか暴力くんと比較すると全然弱いまであるので、基本的には寿命と代償の重さガン無視で契約悪魔の力をぶっぱなす頭の悪い尻の拭い方しか出来ないのが、惜しいところではあるけど。

 戦闘シーンはちょっと割愛。別に楽しい話でもないから。

 なんのかんのあって私の契約悪魔の力で全身ぶくぶくの肉腫まみれに腫れ上がった足音の悪魔を足先でつつきながら、優越感にふんぞり返る。

 ふはは、見たか。これがベテランの力だよ。

「やっぱ、精神干渉系には力量でねじ伏せるに限る!」

「ヒョー、副隊長、さっすがお強い」

「ふふ、これがベテランデビルハンターの力だ……!」

 足音の悪魔、というまあまあ強そうな名前にビビって、皮膚だの白血球だの肺胞の一部だのと必要も無い所まで悪魔に食べさせちゃったのは秘密。だからちょっとあとが怖いのも。しばらくは体調に気を付けないとな……ただの風邪でも死にかねない。使い勝手がいいんだが、悪いんだか。私の扱いが下手なだけなんだけどさ。

「はー……でも、私の力を使うと悪魔の体積がだいぶ増えちゃうから、ちょーっと他の部署からは嫌がられちゃうんだよなー……」

「そ、そうなんですか……?そういえば、副隊長の契約悪魔って……」

 その時、「キャハハハハ!」という耳を劈くような笑い声で声がかき消された。二人して声の方に顔を向けると、悪魔の死体に齧り付いている影がある。

「ギャギャ……もう死んでる……」

「えー!なんだよ、マキマさんにいい所見せられるチャンスだと思ったのに……」

 金髪頭の少年と、サメの背びれが頭に付いた筋肉質な男が視界に入った瞬間、その場で叫び出したくなった。喉の奥が引き攣るのを堪えて後ろを振り向くも時すでに遅し。「あ!」という青年の声に全身が固まり、頬を冷や汗の感覚だけが妙にクリアに頬を伝っていく。

「俺を殺そうとしたチビ女と、激エロ副隊長!」

「ひゃえ、ひゃええええ!?」

 激エロ副隊長というあまりにも不名誉がすぎる蔑称に反論する余裕さえなし。というか、訂正するほど間違ってもないし。目を瞑って耳を塞いで、その場を立ち去ってしまいたい。

「……副隊長、どうしたの?」

 気が付くと暴力くんが心配そうに私の顔を覗き込んでいたので、内心の硬直を気取られてしまっている事実に、どうにか振り絞って明るい声を捻り出した。

「あは、いやはやー、暑いね!こうも暑いと、お腹空かない!?コベニちゃん、一緒にソフトクリーム食べに行こうよ!」

「あええっ、またですかっ……?さっき、クレープ食べたばっかり……」

「ふむ、君は私がデブだとでも言いたいのかね!?ささ、いこういこう!引き、続き、デンジくんと……サメくんも、頑張りたまえよ!あはは!」

 声が上擦ってしまったのがどうか誰にもバレませんように。少し手荒にコベニちゃんの手を握って、くるりと踵を返す。だめだ、私って自分で思うよりずっと、全然大人じゃない。ちゃんと対峙したら、絶対ペース崩れる。

 だからせめて、それがバレないよう、直接的な対峙を避けないといけない。私が一番、ぶっちぎりの先輩なんだし。

「ごめんねっ!デンジくん、サメくん!君、16歳という噂じゃあないか!私は未成年の男とは関わりたくないのだよ!逮捕されたら笑えないからねっ!そーんじゃ!」

 ぴん、とピースサインを差し出すと、二人とも完全に呆気にとられたような顔をしていたので、ああ、何とか今回は切り抜けられたのかなぁと一安心。

 した、のも、束の間のこと。足を何かに捕まれたような感触があって、勢いよく前のめりに倒れ込む。硬いアスファルトにぶつかる覚悟をしてぎゅっと目を瞑ったが実際に会ったのは硬い肉の感触で、混乱しながら起き上がると、目の前に広がるのは、大きな肌色と、青い、サメ肌の色。間近で見るその顔に、かち、全身が凍る。

「ひ、ぅ、っ」

「キャ……!ご、ごめんなさい、オレそんなつもりじゃなかった!ただ、ちょっと、喋りたくて、っ」

「っやめて!!」

 反射的に思い切り頬を叩いて、少ししてから、周囲の目に気付く。きゅう、心臓の奥が底冷えしていくような感覚。あ。あ。どうしよう、どうしよう、どうしよう。なにか言い訳をしないと。この心象を悟られてはいけないから。

「あっ……悪魔とラブロマンスとか、流石に私でも洒落にならん!!!特に、サメくん!君のように半裸の魔人が、迂闊に女性に近付こうとするんじゃーないよ!特に、私の様な見るからに軽そうな女にはね!わかったかいっ!」

 つらつらとそれらしい言い訳を口にして、慌てて立ち上がる。咄嗟にこれだけ筋の通ったでたらめが言えるのは年の功だなあ、嫌なところで自分の成長を実感してしまって、なんだか嫌な気持ちだ。

 怪訝そうなデンジくんとまだ何か言いたげなサメの魔人を見ないようにして、振り払うように駆け足でその場を立ち去る。あとは後処理部隊がどうにだってしてくれるはず。何かあればまた無線で連絡が来るだろうし。なんとかなる、なんとかなる。

 今私に出来る事なんてひとつしかない。もう二度と彼と出会いませんように、そう心の中で祈ることだけ。

 世の中には、言葉にしない方がいい感情ってやつもある。

 ……仰々しい出だしになってしまったけれど、別に、怖い話でもなんでもない。ただコベニちゃんを喜ばせようと思って買った焼きそば味のフラペチーノが、言葉にできない味で悶絶しているだけ。本人に飲ませる前に自分で味見しておいてよかった、これ考えたやつ何考えてんだマジで。

 とはいいつつ、ここで少し小さな嘘を暴露しておくと、実の所、コベニちゃんに食べさせたいから……という名目を掲げつつも、実は私が体質の問題でこまめに栄養補給しないといけないが故の買い食いが多かったりもする。

 だから最近暴力の魔人くんには「副隊長っていつもなんか食べてない?」とつつかれたり、コベニちゃんにもやんわり「お、お昼ご飯、食べれなくなっちゃいます……」と買い食い拒否を受けたりしていて、非常に切ない。飲み会を断られた中年の上司ってこういう気持ちなのかな。

 いずれにせよ、そんなくだらないことで落ち込めるのは、とても幸福なことだ。

「お疲れ様、コベニちゃん、暴力くん。今日は戦闘中に街に被害が出ちゃったから、ちょっと書類関係で帰り遅くなっちゃうかな」

「あっ、はい!」

「んじゃ、色々印刷するからちょっと待っててねん」

 今日もあれ食べようよお昼はここ行こうよの猛攻をしかけてはやんわりと避けられたりしながらも、つつがなく一日を終えることが出来たので一安心。

 挨拶の中だと、帰り際のお疲れ様が一番好き。何事もなく仕事を終えられたことに安心できるから。

「ハンコ出しておいて。とりあえず、これと、これと……。はーほんと、公務員って書類ばっかで嫌になるね!時代はパソコンだっちゅーのにさ」

「あっ、えっと、ひゃいっ……」

「俺も残ってていい?ひとりで施設戻ってもやること無くてさ」

「もちもちろんろん」

「あっ、副隊長……。そういえば、デンジくんが」

「ん?デンジくんが、どうしたの?」

 まだ微かにコピー機の温かみが残る書類を手渡しながら聞き返すと、コベニちゃんは心底気まずそうに目を泳がせながら今にも消え入りそうな声でもそもそと呟く。

「サ、メの魔人が、副隊長のことすっごく気にしてる、って……会いたい、副隊長と三人で組みたい、って、だから副隊長にそう言っておけって……」

「……ふーん。なんでだろうね」

「わ、わかりましぇん……」

「ああいや、別にコベニちゃんを責めてるわけじゃないけど……」

「はは。サメくん、副隊長にホの字なんじゃないの?」

「……。……そういうの、ほんと笑えないからやめて」

 自分でも驚くくらい冷たい声が出て、咄嗟に唇を抑えたけれどもう遅い。「ひゃっ」怯えた声を出すコベニちゃんと暴力くんに向かって、両手を縦にブンブン振って弁明する。

「……あっ、ごめん、ごめんっ!ほら私、前の課で男に手ぇ出しすぎて左遷されてるからさー!色出されると、ちょーっと危機感出ちゃうの!ほんと馬鹿だよねー!」

「ううん、俺の言い方がちょっと無神経だった。ほんと、ごめんよ」

「う。……暴力くん、きみねー。私みたいなタイプの女は、そうも真っ当に優しくされると、逆にやりにくいんですよ!ううう〜、気まずぅ〜!!」

「あわ、あわわ……」

 ぐぐ、ぐぐぐ、とその場に縮こまって……溜めて溜めてから、大きく伸びをして立ち上がる。

「ってことで、今日、ご飯行かない?私の奢りで!」

 また食い物かよ、とは言ってはいけない。

 必殺、上司という立場だからこそ切れるつよつよカード。奢りの飲み会!これはつよい。最近はこういうのもアルハラになっちゃうらしいけど!

 ちなみに、何が「ってことで」なのかは、私もよくわかっていない。雰囲気だ、雰囲気。

 そして。先輩に奢ってもらうご飯とは、焼肉か寿司かラーメンと相場が決まっているものなのである!副隊長という役職があるからには、場末の焼き肉屋だの、食べ放題だのとちゃちなことは言わない。行く先は一つ、銀座の高級焼き肉屋さん!

「コベニちゃん、ビール飲める?甘いカクテルもあるけど……」

「あっ、あっ、飲めますっ……!」

「それは良かった!じゃあビールふたつと……極上タン塩と、壷漬けハラミと……あ、あと1番いいカルビ!白米の並も!んひひーコベニちゃん。好きなの好きなだけ頼んでいいからねー」

「わ、ひゃ、ありがとうございます……!えへへ、銀座で焼肉なんて、夢見たい……!」

「んひひ。遠慮なく、ね。それと暴力くんにはこれ!」

「えー、俺もあるの?なになに?」

「アロマのセット。食べれなくても、匂いは分かるんでしょ?少しでも気が紛れたら嬉しいな」

「はは、ありがとよ。副隊長、やっさしー」

「んふふ。二人は並大抵のデビルハンターより長生きしそうな予感がしてるんだ、何となく。だからこれから、末永くよろしくねー。ってことで」

 かんぱーい。かちん、という音と共にグラスをかち合わせて、それから、三人でとめどない話をした。二人が長生きしそう、っていうのは本音。暴力の魔人は本当にとっても頼りになるし、コベニちゃんは……意気地ないけど、でも、だからこそっていうのかな。なんとなく長生きしそうな気がする。実際結構動けるし。

 飲み会は結構、好きな方だ。飲んで辛いことを忘れよう〜、なんておじさん臭いことは言わないけど、同僚とわーわー盛り上がれるのは素直に楽しい。

 問題は、私がどうしようもないくらいお酒に弱いってことだけど。

「……うひょー!開幕1時間でもうゲロ吐きそうでやばば!」

「えっ、あっ、び、ビール、六分の一も減ってないのに……」

「んにょへ〜、私お酒弱いのーっ!でもでもっ、昔はこんなじゃなかったんだよ!?ちょー強かったんだよ!?」

「おーおー、しっかりー」

 じゃあなんで分かってて酒頼んだんだよ、とは言わないあたりが二人の優しいところである。まあ先輩相手だから突っ込みづらいだけかもしれないけど、ここは優しさだと解釈しておこう。一応ね。

「……あーエグいかもこれ。ごめ、ちょっと外出てくる、暴力くん、体支えてくれる……?」

「あ、あう……!」

「こべにちゃーん!お財布置いておくからあ、私が帰ってこなかったらあ、これで払っておいてねぇ!」

「はいはい、ほら行きますよー副隊長」

「んひひい」

 最近活発な緑地活動の一環で、ビルの屋上は都会には不釣り合いに緑色が生い茂っている。星がひとつも見えないのはもう当然として、都会の空だと、なんだか月さえ薄暗いのが不気味。上京してきてから慣れないことのうちのひとつだ。

「ぼーうりょーくくんっ!」

「おわっ」

「むはは。初めての二人きりだ!」

 そう言って勢いよく体に飛びつくと、彼は拒否せずに優しく抱きとめてくれたので、なんだか嬉しくなって私の方からも力を込めて彼の体を抱きしめた。あはは、コベニちゃんに悪いかな。いや、二人からそういう匂いを感じたことは無いけど。

 でも、もしかしたら今後芽生えることもあるのかもしれない二人のロマンスのことを考えると、すこし申し訳ない気持ち。なーんて、どの口でって感じだ。ほんと。

「うお、なになに、急に元気になってさ。どしたのどしたの?」

「あは。やっぱりぃ〜!君さ、荒井くんでしょォ〜?荒井ヒロカズくん!体抱きしめたら分かるよお、1回寝たことあるモーン!」

「あらいくん?」

「ひひひ〜!君の体の持ち主はねえ、元々公安対魔特異4課の新人くんだったんだよーっ!一瞬、3課だったこともあってねぇ〜、その頃知り合ってたの!」

「ありゃ、そうなの?」

「可愛い子だったよー?童貞で、終わったあとには本気で私に結婚を申し込もうとしてた!一晩寝ただけなのに、彼氏面通り越して亭主ヅラしちゃってさっ、んひひ、かわいいよねっ!」

「もー、ほんと酔すぎ酔すぎ。落ち着いて」

「……ほんと、可愛い子だったよー!やる気がある新人だけど、絶望的に才能がなくって。そっかそっか、死んじゃったか。時期的に、銃撃でかな……」

「……ねえ。このままお店戻れる?下のコンビニで水とか買ってこようか?」

「……、……。きみはほんとに、魔人のくせにやさしーなー!あはははははっ!」

 彼の体にぎゅっ、と抱きついたまま、耳がある位置に向かって問いかける。ああだめだ、私ってほんとメンタルどうしようもない。

「ほーんと、暴力の魔人くんって、似てる。そっくり!」

「似てる?その荒井ってやつにかい?」

「ううん。違うの。体じゃなくってね、中身の話なの。……性格が、似てる。私がデビルハンターになりたての頃に面倒を見てくれた先輩に」

「へえ、そりゃ……ありがとう?」

「なはは、どーいたまして。きみはほんとーに気のいいやつだねー」

 ぐちゃぐちゃの頭のまま、彼のスーツを握りしめて。ああ本当、ゲロ吐きそう。肝臓八割無くなってんのに酒なんか飲むんじゃなかった。

「……あのさー、暴力くん。馬鹿なこと言ってるなーって、話半分で聞いてくれる?」

「はいはい、なんでしょう」

 彼の肩越しに見える夜景のあかりが眩しくて、泣きたくなるほど目がチカチカした。片っぽしかない肺が痙攣して、きゅっ、きゅっ、としゃっくりの音が漏れる。

「いやじゃなかったら……一回きりでいいから……ほんとに、いっかいでいいから、わたしのこと……手酷く、抱いてくれないかなあ」

 もう、私、魔人相手に、何してるんだろ。夜風に当たって少しだけ冷えた頭を、誤魔化すようにスーツに擦り付ける。しばらく彼からの返事がなくて不安になっていると、数十秒の間の後に

「こら、せんぱい、めっ!……もっと自分を大切にしないとだめだよ」

 という言葉が帰ってきたので安心すると同時に、ああやっぱり、このひとは優しいひとだなあと思った。

 男関係で3課を追い出されたのに、4課の男……それも、魔人とも寝ようとしたなんて知れたら、マキマさんはなんて言うんだろう。とはいってもあの人のことだから、大袈裟に驚いたりなんて絶対にしないだろうけど。

 結局のところ、暴力の魔人はそんじょそこらのデビルハンターの男よりもずっとずっと紳士的だった。泣きじゃくる私を優しく介抱して、最終的にはタクシーで家まで送り届けてくれたのだから。吐かせるのが上手いところまで元の持ち主の彼に似てて、なんだか泣けた。

「おはよ、暴力くん、コベニちゃん。ごめんねぇ、昨日は飲みすぎちゃって。私何か酔っ払ってとんでもないことしでかさなかったかい?」

「お、おはようございます……!昨日はご馳走様でした!えへへ、大丈夫ですよ、何事もなかったです……!」

「うんうん。まあちょっと、トイレで吐いたりはしてたけどさ」

 翌日、何事も無かったかのようにあっけらかんと言い切る暴力くんをみて、ああやっぱりいいひとだ、と思う。元の体の持ち主の人格が多少残っているにせよ。きっと元の悪魔もそれなりに良い奴だったんじゃないかなあ。多分。

 生きている間には、知りえないことではあるけれど。……酔っ払うと手当たり次第に男と寝ようとする癖、本当どうにかしないとな。

 つつがなくお仕事を終えて、今日もお疲れ様。

「へい、暴力くん!お疲れ様」

「おー、お疲れ様、どったのせんぱい」

「ふふ。ちょっとお話がしたくってさー」

 仕事終わりに私が呼び止めると、彼は明るい調子で答えてくれる。人間だったらこういう時缶コーヒーでもなんでも渡せるのに、暴力くんに限ってはなんにも奢ってあげられないのが、なんとも歯がゆい。

「……ふふ。ごめんね。本当は覚えてたんだ、昨日の夜のこと。……止めてくれてありがとう。うれしいかったよ」

「んー、なんかあったっけ?まあ酔っぱらいの言うことだしーと思ってあんまり相手にしてなかった気がするなー」

「っ、あはは、そっかそっか」

「それと、アロマあんがとさん!早速施設で布団にかけてみたけど、すげーいい匂い」

「えっ、布団にかけちゃったのっ!?……あれ、ディフューザーに垂らして使うやつなんだけど……」

「え」

 一瞬の間の後、どちらともなく吹き出して……それで、最終的に、お互いに声を出して笑った。こんなに清々しい気持ちで笑ったのは久しぶりだった。不思議なこともある。相手が暴力の魔人だなんて。悪魔のせいでこんなに鬱屈した状態になってるのに、悪魔のおかげでこんなに気持ちが楽になるなんて。

「ふふっ、あはは……っ、まあっ、とにかく!昨日今日はありがと!じゃあ、またあしたっ!」

「おう!明日もよろしくなー、副隊長」

 ひらひらと軽く手のひらを降って、その場でたち分かれる。なんだかここ数年一切なかった暖かいもので胸が満たされていて、ああ、昨日彼と寝なくて良かったなあとつくづく思う。相手は魔人なのに、変な感じ。

 本当に、後輩に恵まれたなあ、と思う。

 コベニちゃんとも、暴力くんとも、上手くやっていけそう。デンジくんはエロガキだけど、なんやかんやでいい子だし。アキくんは相変わらず死に急いでるけど、根は常識人だし。血の魔人ちゃんも理性が高いそうだから。

 だから大丈夫、私は大丈夫。冷静に、冷静に。平静を保って。

 背後から、微かな水音が聞こえている。

 私が止まると止まって、歩き出すとまた始まる。なんてわかりやすい。祈りなんて通じないね、所詮。わかってたけどさ。

 うーむ、暴力くんみたいに圧倒的に理性的なわけでもなし、なんでデンジくんはちゃんと首輪をつけて飼ってないわけ?言うことを全部聞くって言ったって、元は話も通じないくらい凶暴な魔人なんでしょ?……なんて、16歳の子供相手に怒っちゃダメだね、いくら心の中とは言えどもさ。誰にでも優しく。優しく。上司の義務ですよ。

 優しく、おおらかに、朗らかに。そう思って深呼吸をしてみるけれど、やっぱり苛立ちは止まらなくて。

「……なんで君が着いてくるのかな、サメの魔人くん。魔人用の施設、逆方向でしょ」

 立ち止まらないで歩き続けながらそう聞くと、後ろで明らかに動揺した気配があった。少しの間の後、思った通りの声が返ってくる。

「あ……女の人が、ひとりで歩くの、危ないから……ビームが、入口まで見送る……」

「公安の中が危ないって言いたいわけ?」

「ちぎゃ……そ、そういうわけじゃ……」

 この詰問じみた問いかけが大人気ないことなんて分かっている。でも彼と2人きりのこの状況で、この状態で、このイラつきを隠せる気がしなかった。わざと大きくヒールの音を響かせて歩きながら、背後を振り返りもせずに乱暴に言葉をぶつける自分が嫌になる。子供みたいにたじろいでいる、まだ幼さの垣間見える彼を相手に。

「じゃあ君は、コベニちゃんにも血の魔人ちゃんにも同じようにするの?」

「……!し、しない!」

「そう。なのに、私だけは送り迎えするんだね。私、そんなに弱そうに見える?」

「ちが、ちがっ……」

「……あのさ。無理に気を使わないで大丈夫だよ。」

 急に立ち止まったせいか、後ろでざぷん、という波の立つ音がした。

「何を考えてるのか分からないけど、妙なことはやめて。言っとくけど、私美味しくないよ」

「えっ、あ……ちがう、ちがう……食べたいわけじゃ……」

「違う?何が?」

「……せんぱいのことが……す、き……すき、だから……話したい……」

「……はあ」

 胸の中でとめどなく言葉が溢れて、思考がこんがらがって、唇がもつれる。やり過ごさないと。怒っちゃダメ。だめ、なのに。

「……一緒に戦ったことも、ちゃんと話したことだってないのに?」

「ぎゃ、ぎゃ……でも……」

「……。冷静に、冷静に、大人にならなきゃダメなのにな……。……ああもう、ほんと、やめてよ、本当に、そういうの」

「あ……」

「私が君のことを避けてるって、態度でなんとなく分からない?」

 タガが外れた瞬間に、堰を切ったように言葉が唇から溢れ出す。

 ガン、私が振り返る、大きな靴音が部屋中に響いて……かえって暗い廊下の静寂が引き立つよう。

「ねえ……。自分でちょっとでもおかしいなあって思わなかった?自分の体見て。そんなに完璧に仕上がった体の持ち主が、一般人だと思う?お強いサメの悪魔様が、たまたま屈強な体の持ち主に憑依したとでも?」

「う、あ」

 1歩、また1歩。ぐんぐんとにじり寄って、サメの魔人を壁際に追い詰めてしまう。あは。自分で追い詰めてるくせに、"しまう"ってなんだよ。もうなんにも、自分の意思では止められない。追い詰められた彼の背びれが白い無機質な壁に跳ね返されるのが見えて、それにさえ苛立った。やろうと思えば、壁の中にも入れるくせに。

「……なん、で」

「あ、あ……」

「なんで、スーツ、着てるの。普段、着てないでしょ」

「あ……フクタイチョー、半裸で近付くなって、言った、から……」

 ネクタイが、どうしようもないくらいぐちゃぐちゃな状態で、だらしなく首元から垂れ下がっている。ボタンは掛け違いだらけだし、ベルトはそもそもスラックスに引っかかって居なくって、ただ腰に巻いただけ。着方もまともに分からないくせに、なんで無理に着ようとするの。……私に、嫌がられないために?……ああ、クソ、本当に……。

 いっそ君がクソ野郎なら、一思いにここで殺せてしまえたのに!

 ぱし、という小気味のいい音とともに、鋭い痛みが手に走る。ガサガサの、ちょっと荒れたサメ肌。馬鹿だなあ。乾燥肌の癖にちゃんと保湿しないから、そういうことになるんだよって、私……私、いっつも言ってた。言ってたのに。

「……っ、あのね!頭の悪い君がもう二度とあなたが馬鹿みたいな勘違いをしないように、本当のことを教えてあげる!あなたの体の元の持ち主はね、私のバディだったの!だから、あなたのその下らない感情も、根拠の無い好意も、ぜーんぶ元の体に影響されてるだけ。意味なんてないの!偽物なの!……っ、君は所詮……悪魔なんだからさあ!」

 小学生のとき、悪魔に家族全員が殺された。小学校で、冬のバザーが開かれている時のことだった。同じ学校に通っていた姉を含めた家族全員がバザーに出かけていたけれど、私はその時、高齢でいつ死ぬ分からなかった家のハムスターの看病に専念したくて、ついて行かなかった。

 どうしてあの日、私も学校に行かなかったんだろう。

 どうして私、みんなについて行かなかったんだろう。

 何度そう思ったか分からない。何度そう言って自分を呪ったか分からない。でも、だって、そんなこと、分かるわけないじゃないか。玄関先で不機嫌に言い放った、

「大事な家族がいつ死ぬかも分からないのに、毎年やってるバザーなんかに行くんだ!そっちを優先するんだ!みんな薄情、だいっきらい!」

なーんて軽口が、家族との最後の会話になるだなんて。

 ハムスターがご飯を食べて、砂浴びをして、ちゃんと眠ったところを見届けて……それで、私も眠たくなって、こたつの中でお昼寝をした。次起きた時には、学校があった二丁目が丸ごと無くなっていた。駄菓子屋さんも、自転車屋さんも、全部丸ごと無くなっていた。

 私の住む地域は、最も銃の悪魔の被害が大きかった箇所のうちの一つらしい。それもそうだろうな。なんせ地区が丸ごと一つ吹っ飛んでるんだから。

 まあ、いずれにせよ。

 町ごと壊れて身寄りが全く無くなってしまった私は、遠い遠い、あったこともないような遠い親戚の家に預けられるようになった。

 親戚はしきりに「うちに子供を引き取る余裕なんてない、こんな子供引き取りたくもない」と言っていたし、私も明らかに疎まれていると分かっている親戚の家より、政府がしっかりと管理している孤児院のほうが良かったけれど、その頃はどこも銃の悪魔被害による災害孤児で溢れかえっていて、どの孤児院も何百人後の空きを待つような状態だった。

 空きがないのでは仕方ない。私は他に行く先がなく、親戚は法律を盾にした児童相談所相手に、なすすべがなく。

 まあ……わざわざ詳細に語るようなこともないだろう。こんな悲劇は吐いて捨てるほど巷に溢れている。あまりにありふれた話だ。

 だから私の幼少期については、一度ここでエピソードカット。容易に想像できるように、とにかくロクでもないものだった、とだけ表現すれば済むような、薄い子供時代を過ごしていた。

 強いて他の人より悲惨な点を挙げるとするならば、経済面だろうか。親戚の「子供を引き取る余裕なんてない」という言葉は、案外、断るための方便ではなかった。小遣いは無論なし、服はいつも制服で、下着や靴下は擦り切れて穴が開いても使い続ける。……そんな有様では、当然15歳を迎えたところで、高校に行く選択肢が提示されるはずもない。

 せめてもう少し歳を重ねていたら、水商売や風俗で生きていく道もあったのかもしれない。けれど、そんな生き方をするにはその時の私はあまりに子供すぎたし、あまりにも無知だった。

 実際のところ大人になって振り返ってみると、15歳で行くあてのない孤児にとって、公安のデビルハンターというのはそこまで悪い選択肢ではなかった、と思う。給料は悪くない。公務員だけあって福利厚生はきっちりしているし、労災があればちゃんと全額負担してもらえる。寮に入れば、衣食住さえ全部面倒を見てもらえるし。唯一にして一番の大問題は、常に死の危険が付きまとうこと。……デメリットとして、あまりにも大きすぎる。

 またそれとは別に、「銃の悪魔の災害孤児で身寄りがないのでずっとデビルハンターをしているんです」というと、必ずと言っていいほど仇が取りたいんだね、銃の悪魔を殺したいんだね、と言われるのにも辟易とした。別にそんな高尚な意思がある訳でもなんでもない。他に行くところがないからここにいるだけなのに、好きで働いていると思われているのは存外癪だ。

 私が初めて組んだバディは、かなり年上の男性だった。

「君、15歳なのに公安デビルハンターの試験受かったんだって?すごいねー!」

 ツンツンとんがった髪の毛に、ギザギザの歯がチャームポイント。身長は早川くんと同じくらいだけど体はもっとムキムキマッチョで、明るくて、ハキハキとした声で喋る。率直に言えば、苦手なタイプ。それはもう、すごく。

「後輩ちゃんは全然悪魔の力使わないけど、何か理由でもあるの?」

 仕事終わり、公安本部に戻る途中の道で聞かれたことがある。

「……聞いたら、呆れますよ」

「別に、今更呆れたりしないよ。仕事が出来ない後輩ちゃんの、全部の面倒見てんだよ?オレ」

「……、……」

 悲しいことに、それはその通りなのである。

「……私、視線の悪魔と契約してるんです」

「ふうん?」

「でも……力を使う度、少しずつ視力が下がっていくって言われて……怖くて、全然、使えてないんです」

「ははあ、なるほどな」

「でも……契約してるだけでも少しずつ目は悪くなってっちゃうらしいから……私、いつか失明しちゃうのかな……いつも、こわくて、こわくて」

「んー」

 先輩は少し悩んでから、思いついたように指を立てた。ギザギザの歯を見せて、ニカッと笑って。

「後輩ちゃん。背中貸してご覧」

「……なんですか」

「いーから」

 言われた通りに背中を向けると、先輩は指でつう、っと文字を書き始める。戸惑いつつも目を伏せて、そっと感覚を研ぎ澄ませると、次第に文字が浮かんできて……

 す、い、ぞ、く、か、ん。

「……水族館?」

「お、分かった?行ったことないって言ってたろ。今週末、一緒に行こう」

「……それと、視線の悪魔と、何の関係があるんですか?」

「ん?いやほら、背中で文字が読めるくらい肌感覚が敏感なら、まあなんとかなるって安心できるかな!って!」

「な、なんて適当な理屈……」

「で、どーなの?水族館、行きたくない?俺、車出して鴨川のあたりまでかっ飛ばすつもりだけど」

 ……それは、行きますけど。

「あーっはっは!そう来なくっちゃな!」

 とにかく話の通じない、よく分からない人だった。でも一緒にいると元気が出て、楽しかった。

 ……優しい人だった。

 先輩は、優しい人だ。……先輩は、優しくって、いい人だけど。あんまりにも、状況が、悪かった。どうしようもないくらいに。

 同期はバタバタ死んでいく。生き残っても民間に移る。

 私だって、何回も何回も民間に行くことを考えた。けれど忌々しいことに、どの求人票も必須条件として"高等学校卒業以上"の文字が並んでいる。悪魔を殺すのに学歴が必要なんですか、と詰め寄りたくなるが、どこもかしこも食い溢れた災害孤児だらけの現代社会。そうでも書いておかないとまだ15歳になりたてのような子供さえ応募してくるような状況だったそうで。そう言われてしまえば、こちらとて文句の言いようもない。

 仕事終わり、少し時間ができると、いつも二人で河川敷に来る。落下防止の鉄柵にもたれかかって、底が見えないくらい汚い多摩川の流れを見つめながら、あそこのクレープ美味しかったですねー、とか。こんな悪魔が居たらどう殺します?とか、そんなとめどのないことを話すのが、私たちの退勤後の日課だった。放課後、ってやつがあったなら、きっとそんな感じだったのかな。もう私には知りえないことだけれど。

 冬場の川は冷たくて、河川敷に立っているだけでも体感5度くらいは体が冷え込む。私は冷え性だからコンビニで暖かいゆず茶を買って、いつも両手でそれを握りしめてた。

「せんぱい。わたし、マキマさんにね、視線の悪魔とはもう打ち切りで、癌の悪魔と契約して、って言われたんです」

 先輩が面倒を見てくれてるのに、いつまで経っても役に立たないから。どれだけ訓練を積んでも芽が出ないから。後から入ってきた早川くんにさえ、あんなに呆気なく追い抜かされちゃうくらいだもの。マキマさんもほとほと愛想が尽きちゃったんだろうな。

「……癌?」

「癌の悪魔と契約したらね、膵臓とか、肺とか、白血球とか甲状腺とか……がんになるような場所をちょっとずつ持ってかれちゃうのと引き換えに、悪魔の内臓を爆破できるようになるんですって……」

「ほー、そりゃまた、強そうな」

 ゆず茶のボトルが柵に当たって、カタカタと金属音を鳴らしている。情けないけど、止められない。声が震えて舌がもつれているのを誤魔化すために、言葉を一つ一つ文節に区切って、丁寧に音にした。

「だから私、ちょっとは強くなれると思います。だから……だから、先輩は、私に遠慮しないで、民間に行ってください」

 少しの沈黙。

「……どうして?」

「私が気掛かりで、民間に行けないんですよね、先輩。お誘いが沢山来てるのに。……もう、大丈夫ですから。安心して公安やめてください」

「おいおい、俺は別にそんな……」

「私……私っ、先輩にだけは長生きして欲しいんです!……死んで欲しくないの。私のことを気遣うなら、どうか、どうか、民間に行くなり、他の仕事するなりして、長生きしてください……!」

 川の流れる音だけがごうごうと響いている。間が空いて、先輩が大きな声で笑った。いつも通り、快活ではきはきとした声で。

「はははは。ほんと、お前はいつもいつでも地獄の底に居るみたいな喋り方するよなあ」

「……この仕事してて、先輩みたいに能天気でいられる方がどうかしてますよ」

「はっはっは!まぁ……それは、そうかもしれないけど。……そうだなあ、じゃあ、お前の言う通りに民間に移るとするよ」

 ……うん。そうだ。それがいい。そしたらきっと、公安にいるよりもずっとずっと安全だから。自分で言い出したことなのに唇が震えて引きつって手が震えているのを誤魔化すために、ゆず茶を一口飲んだ。喉を通るはちみつの甘さが、今ばかりは嫌に粘っこく感じられて。

「でもその代わり、お前も公安辞めろよ」

 とくん。生暖かい液体が、喉を通り抜けていく。

「……はい?……一応言っておきますけど、無理ですよ。私は先輩と違って優秀じゃないから、引き取ってくれる民間なんてありません」

「ん?別に民間のデビルハンターになれ、とは言ってないだろ。他にも選択肢は沢山ある」

「私、中卒です。お水か風か、あるいは無職になって野垂れ死ねとでも?」

「おーごめんごめん、そんな詰めんなって。……な、ちょっとこっち見てみ」

 言われた通りに横をむくと、じゃじゃーん、というなんとも締まりのない効果音とともに、小さなベルベットの箱を差し出された。

 それは、と尋ねる前に箱を開けられて、何も言えずに息を飲むことしか出来なくなる。

「俺たち、結婚しない?」

 星の欠片みたいに、きらきら光る乱反射の瞬きが、目に眩しくて。数秒かけて言葉を咀嚼して、その意味を理解した時、手の指の隙間からゆず茶のボトルが滑り落ちていた。

「……いや、ちょっと今のダサいな。言い方変える。俺たち、結婚しよう。それでお前は仕事を辞めればいい。専業主婦として家の管理をしたりしてさ。それで、出来たら子供が、3人くらい欲しかったり。……そしたらさ、癌なんかと契約しなくても済むだろ?」

「は、え……。なん、で。……わ、たしたち、付き合ってもない、のに」

「はっはっは!なーんか、思ってた反応と違ったな?もう何年もバディとして組んでるってのに、つまらないこと言うなって」

 転がっていったボトルを先輩が拾い上げた拍子に、ちゃぽんという間抜けな水音が響く。

「これから、毎朝俺のネクタイを結んで欲しい。俺……そういうの、下手だからさ」

「……っ、ええ、それくらいなら、喜んで」

 指輪になんて目もくれず。

 そのまま先輩に抱きついた。あんなに心の底から何も考えずに幸福を享受出来た瞬間は、あの時が最初で最後だったと思う。

 ああやっと…これまで人生に耐えてきて良かった、生まれてきてよかったって、本気で思えたのは、初めてだったから。

 それから数日後、先輩は悪魔に食われて殉職した。

 もうほんと、ギャグ漫画みたいな勢いで、本当に呆気なく死んだ。余韻さえなかった。

 それくらいの、実に馬鹿げたテンポ感で、死んだ。

 無線越しに聞いた……生きたまま悪魔に脳を啜られて息絶える先輩の断末魔が、今だって鼓膜にこびりついている。どうして、とか、なんで、とか、そんなことさえ考えれなかった。それくらい、とにかく現実感がなかった。現実は、映画みたいに展開を考慮してはくれない。ついに出せなかった退職届を河川敷に投げ捨てて、涙でぐちゃぐちゃの顔のまま、マキマさんの部屋にもつれ込む。

 あは。

「あは!あははっ!マキマさん、私、癌の悪魔と契約しまーす!もーなんでもばっちこーい!」

「いいお返事だね。一皮剥けたみたいで良かった」

 いいこ、いいこ。優しくマキマさんに頭を撫でられた瞬間、ああ私の居場所ってここ以外には無いんだなあと何となく分かってしまって、どうしようもなく消えてしまいたくなった。

 そうして私は癌の悪魔と契約して内蔵のほとんどを失い、先輩は一時は死亡退職していたものの、サメの魔人となって無事公安特異退魔4課に返り咲いたのでした。

 だからここで昔話はおしまい。

 もう一時間近くけたたましく家中の電話がなり続けているのでいよいようるさくなって受話器を取ったところ、第一声から早川の怒号が聞こえてきたのでますます嫌な気持ちになる。

「お前、今どこにいる!」

「家。仕事行くのだるい」

「お前ふざけるのも大概にしろよ!」

「別にふざけてないよーん」

「っ……あー、とりあえず、今からお前の家に行くからその場でじっとしてろ」

「来なくていい。言っておくけど絶対鍵開けないからね」

「行かなかったらどうせまた平気で2週間くらい無断欠勤する気だろ、お前!」

 ガチャ、ツーツーツー。早川の電話の向こうからはクラクションの音とエンジン音が聞こえていたので、多分もう車でこちらに向かっている途中だろう。私の家は公安の寮なので、早川も道順はちゃーんと把握しているはず。参るね。ああほんと、これだから自己中心的なやつは。ほっといてくれよ……って、まあ、冷静に考えたら副隊長って立場なのに飛ぼうとしてる私の方が大概か。

 でもこんなの、デビルハンターにはよくあることでしょうよ。ある日急に死ぬのが怖くなって飛ぶ。何もかもが嫌になって飛ぶ。あるいは同僚が死んだ後、ビルの上とか線路とかからフライアウェイ。殉職以外だとそういう終わり方が大半だ、公安でのデビルハンターってのは。

 いずれにしても家にはしっかり鍵をかけているのでモーマンタイ。しばらくうるさくはなるだろうが、知ったこっちゃない。と、思っていた矢先。玄関口からガチャガチャとノブを回す音が聞こえて、どっと冷や汗が全身から吹き出る。は、は、は?嘘だろ、あいつ、チャイムすら押さずに侵入してきやがった!布団を頭から被ってその場でじっとしていると、なんでもない顔で寝室のドアを開けた早川と目が合う。

「……お前、中にどうやって入ってきた?」

「管理人に鍵貰ってきた」

「あの面食いクソババア……」

「チェーンをかけなかったお前が悪い」

「チャイムくらい押せ!」

「どうせ出ないだろ」

 だとしてもだろ。何最もらしく言ってんだこいつ。岸辺隊長はネジがどうのこうの言ってましたけど、私が教育するまでもなくもう既にネジ吹っ飛んでますよ。

「アキくん。私今、布団の下裸」

「ならさっさと服着て表出ろ。仕事行くぞ」

「チッ。荒井くんが迎えに来た時はこの手でどうにか出来たのにな」

「何か言ったか?」

「あーはいはい、今着替えるから外出てろ。てか天使はどうしたんだよ、お前」

「下の車で暴力の魔人と東山と一緒に待機させてる」

 ……ん?待てよ?ってことは私この後コベニちゃんと暴力くんと後部座席でギチギチになりながら車に乗らなきゃいけないわけ?ますます気が重い……。

 監視されてる中黙々とスーツに着替え、嫌がらせとばかりにちんたら化粧をして(舌打ちをしつつも待ってくれる早川が妙に紳士的で笑える)、イヤイヤ靴を履いた。こられてしまった以上下手にごねるよりも黙って着いてった方が早いと分かっている。けど。

 ダメ元で、しなを作って早川の手を取る。優しい力できゅうと掌を握って、指先で指の隙間をスリスリと撫でる。

「……アキくん。私、やっぱり行きたくない。辛いの……」

「気色悪い手を使うな。なんで今更その手が俺に通じると思うんだ」

「チッ」

「ほら、さっさと行くぞ」

「でもやっぱり行きたくないーいやだー家から出ないー」

「……俺は不登校の中学生でも迎えにきてんのか」

「私の方が先輩なんだけど」

 私の文句にも早川は顔色一つ変えず、それどころか玄関脇備え付けのアルコールプッシュを勝手に使って手を除菌し始めたので、本気で側頭部をぶん殴ってやろうかと思う。

「……ねえ」

「今度はなんだ」

「……早川はさあ、姫野先輩が魔人になって帰ってきたら、どうするよ」

「使えるやつなら使う。使えないやつなら殺す」

「……あっそ。その答えが聞けて元気出た」

 岸辺隊長、やっぱりこいつ私がどうこうするまでもなく頭のネジ外れてるってば。

 下に降りると小さな車の中で天使の悪魔と暴力の魔人とコベニちゃんが勢揃いで車の中で死ぬほど気まずそうにしていたので、ああやっぱ悪魔にも気まずいとかあるんだ、と思うと少しウケた。

「ごめんよお新人二人、先輩のメンヘラに付き合わせちゃってさあ。アキくんに詰められて正気に戻ったから、もうだいじょびだよっ!」

「あっ、ひゃい!」

「おーおはよう。もう元気なの?」

「ちょー元気元気っ!ほんで、ごめんけど詰めて詰めて」

 どっかーん、と勢いよく座り込んだものの意外と後部座席にはゆとりがあるので、ははーんコベニちゃんと私が華奢なおかげだな、とにやり。マキマさんと姫野先輩ならこうは行かないね……なんて、こんな事考えてたらぶっ飛ばされそう。

 車に揺られながら、ぎゅ〜っと目を瞑って、昨晩のことを思い出す。サメくんに後をつけられて、ちょっとお話して、それで……なんだっけ。

『君は、君は所詮、悪魔なんだから……違う人なのに……その顔で、優しくされると、甘えたくなっちゃうじゃん……』

 えーと……そんなことを言って、結局涙と鼻水が止まらなくって、胸板にもたれかかってぐちゃぐちゃに泣いて、シャツを汚したことは覚えてる。赤ちゃんみたいにしゃくり上げて呼吸してたのも。

『フクタイチョー、泣かないで……オレ、オレ、どうしたらいい……?』

『……ああ、クソッ、なんでどいつもこいつも悪魔のくせに良い奴なんだよ!腹立つっ、腹立つっ、うわああああん!』

 ああだめだ、思い出しただけで死にたくなってきた。それでたしか、そのあと本当に頭ぐちゃぐちゃになって、サメくんはっ倒してその場から走って逃げ帰って、そこからの今朝だ。

「アキくん、ちょっと具合悪くなってきた」

「こんな時に車酔いか」

「違う、メンタルの方。今晩あたり抱いてくれない?今ならギリギリ姫野先輩と関節キスだし」

「はあ!?」

「てか暴力くんでもいいから。てかコベニちゃんでもいい。ていうかコベニちゃんがいい。コベニちゃん、今夜寝よう。スイートホテル予約しておくから」

「馬鹿野郎!やめろ!!そんなドストレートなセクハラがあるか!!」

「うぇひっ!?……スイート、ホテル…?」

「お前も簡単に釣られるな!!」

「うわああああああ暴力くんやっぱり抱いてえええええええ!」

「副隊長、さすがにそれは最低すぎるかも!」

「ちょっとっ4人とも、この車狭いんだから暴れないでよ!」

「なははははー!デビルハンターなんてもうこりごりだーい!」

 最早このままギャグ漫画みたいにアイリスアウトしちゃいたい気持ち。

 途中に寄ってもらったコンビニで季節外れの暖かいゆず茶とグミを買って栄養補給をして、(インスリン注射があるとはいえね)本部でマキマさんにゴメンなさいをして、いつも通りにコベニちゃんに食べ物を食べさせながら、見廻りをして。

 それで、ずーっとビームくんのことを考えてた。

 アキくんは、姫野先輩がこういう状態になっても、使えるか使えないかを基準にするんだって。キッパリ切り離してて潔いいよね。私もあれだけさっぱり綺麗に生きられたら良かったな。

 逆に、私が魔人になっちゃったら、先輩はどうしてたかな?

 ……そうなったら、ちゃんと先輩の手で、殺して欲しいなあ。魔人がどんなにいい子でも。どんなに人類にとって素晴らしい存在でも。ちゃんと殺して、私の体を土に還して欲しい。ちょっと、湿っぽい考え方過ぎるかもしれないけど。

 まだ半分も残ってるのにすっかり冷めちゃったゆず茶を飲み干して、ぽけーっと河川敷を眺める。別に来たくて来たわけじゃない。仕事終わり、気がついたら足がここに来ていたと言うだけ。夕焼けで光る水面を見ていると少しづつ頭が冷えて、だからこそ、自分の昏い感情が手に取るように見えてくる。

 私が魔人になったら、ちゃんと先輩の手で殺して欲しい。……でも、先輩は優しい人だから、きっとそんなこと出来ないんろうな。それなら、それならせめて、ちゃんと先輩が首輪を付けて飼ってくれないかなあ。体を乗っ取られた私が、間違ってもよそ見なんて出来ないように。間違えちゃった時は、先輩の手でちゃんとケジメをつけられるように。

 スーツの懐に手を差し入れると、指先が固いものに触れる。小さな不織布の袋に入った婚約指輪。ちゃんとサイズを合わせてないから、私の指より少し大きい。購入店に行って、二人でちゃんとサイズ合わせをして、その時に結婚指輪も買おうねって約束してた。……あるいは、この指輪を直ぐに捨てられていたら、今よりは少し違う今もあったのかな。

 きらきら光るダイヤモンドをじっと見つめて、

 そしてそのまま、公安本部に向かって踵を返した。

「私ねえ、岸辺さんが言う頭のネジってやつの正体、知ってるんですよ」

「……」

「つまりは、しがらみを捨てろってことですよね。誰かに執着すれば足を引っ掛けられて死ぬ。どんなに強い人でも、悪魔でも。執着を捨てよ!仏教で言うところの放下着ってやつだ」

 岸辺隊長の私を見下す目は冷たい。隊長呼びはどうしたとか、急に何言ってるんだお前、とか、色々言いたいことがあるけど面倒くさいから黙ってる時の顔だなあ、と、最近何となく分かるようになってきた。

「岸辺さん。今だから言えることですけど。私あの人に婚約指輪を貰っていたんです。あの人が殉職する、少し前に。マキマさんに癌の悪魔との契約を勧められた少し後かな」

「そうか」

「ですがそろそろ吹っ切るべきだと思ったので、今朝、あの人と二人でよく行ってた橋の下に行って、ぶん投げて捨ててきました……と、言いたいところですが、。私は現金なので。質屋でプラチナの部分だけ換金してきました。きっと来年頃には何かしらの電子機器の部品となっていることでしょう」

「そりゃよかったな」

 こちらの言うことを聞いているのか聞いていないのか、気に止めてるのか止めていないのか、全くもって欠片ほども分からない所が岸辺隊長の良いところだ。どれだけ一方的にマシンガントークをしても、気に病むことが何一つ無くて助かる。

「それで、心機一転サメの魔人くんと恋愛したいって言ったら、怒ります?」

「好きにしろ」

「やった。じゃあ、彼の首輪は預かりますね」

 その場を立ち去ろうとして、少し立ち止まって、また口を開く。

「隊長。今の私って、ネジが外れてるんでしょうか。それとも、きっちりハマってますか?」

 真顔の岸辺隊長はなんの返事も返さなかったので、ああ、らしいな、と思った。

 勝手に岸辺隊長の名前を使って魔人の施設に入り込み、我が物顔で各魔人の部屋を物色する。

 カビだの爪だのなんだのと見るからに厄介そうな悪魔たちの部屋を通り抜けてたどり着いたビームくんのおうちは、とても素敵な仕上がりだ。ちょっと部屋が全体的に赤錆だらけで、窓が一つもなくて、扉に厳重な鍵がかかってて、間違っても部屋から彼が脱出できないように部屋の至る所に電気柵が設置されていることに目を瞑ればの話だけど。

「やっほー、ビームくん。元気?昨日はごめんね」

「あ、ギャ!?フクタイチョー!!」

 私が扉越しに声をかけると反応自体はあったものの一向にこちらにかけてくる様子がないので、恐る恐る扉を開けると、部屋の真ん中になにやら壮絶な有様のビームくんが落ちていた。

 慌てて服を着ようとした、らしい。とりあえず羽織っただけのシャツと、首周りと手首にまで絡まったネクタイで、身動きが取れない様子で地面に転がっている。辛うじて靴下が足先にちょこんと乗っかっているけれど、ほとんど意味をなしていない。

「……大丈夫?」

「だ、大丈夫!……フクタイチョーは、元気?」

「あは。元気に見える?」

「ア……」

「嘘嘘、ごめん。超元気だよ」

「あ……あ……キャキャ……」

「……それで、君はまたすごいことになってるね」

 そっと歩み寄っていくと、ビームくんは一丁前に顔を赤らめて身を縮こまらせるので、あるいは半裸を見られる羞恥心でもあるのか、と疑いたくなるけど。

 まあ、そんなことは全然ないんだろうが。指摘されるまで散々半裸で暴れ回っていたわけだし。

「まだ気にしてるの、私が半裸が云々って言ったの」

「ぁ……」

「……元々半裸で居たってことは、服着るの苦手なんでしょ。無理しなくていいよ」

「でも……また、フクタイチョーに、迷惑かける。から、ダメ……」

「別にいいんだよ、迷惑かけたって」

 元から本気で迷惑だって思っていたわけでもないんだし。彼のそばに跪いて、一つ一つ丁寧にネクタイの絡まりを解いていく。シャツもしっかり整えて、ボタンをちゃんと嵌め直して。下が海パンなので上を整えたところであまり締まらないけど、それでも一応。

「……昨日はごめんね。八つ当たりしちゃって」

「ヤツアタリ……?」

「君に、私に怒られる所以はなかったってこと。……だからサメくん……ビームくんも、私に怒り返していいよ。あの時はよくも、ってさ」

「っ、怒らない!ゼッタイ、怒ったり、しない!っぐえ!?」

「ふふ。ごめんね……。……ネクタイはね、こうやって結ぶの。苦しいでしょ、首輪みたいで」

 する、シャツも着ていない腹部に手を這わせる。柔らかな腹筋の感触が気持ちいい。

「ギャ……でも、付ける……!」

「付けなくていいよ。こういうことに使われちゃうから」

 首に結んだネクタイを引っ張って、そっとビームくんの唇にキスをした。額に硬い鮫肌がぶつかって少し肌がひりつくけれど、ぐりぐりと頭を擦り付けて、鼻が潰れるくらいに深く唇を合わせて。

「ねえ、ビームくん。私の事好き?」

「……ァ、ア、好き……超好き……」

「……そう。それならこれから毎朝、私にネクタイを結ばせてね……いいでしょ?」

 口元しか見えない顔からひしひしと期待感と高揚感が滲んでいるのがわかって、なんだかおかしかった。馬鹿だなあ。ああまで言われて、どうして私が好きなんだろう。

 ぽす、と胸元に顔を埋めて、深く深く深呼吸。先輩とは全く違う、似ても似つかないような匂い。

「……ビームくんの心臓、動いてるね」

「あ、うっ……う、うごいてる……」

「生きてるね。ビームくんの体は、生きてる。すごい」

「ヴ……オレ、すごい?」

「うん……うん、すごい、すごいよ……」

 柔らかくて堅い筋肉質な肌と素肌が触れ合って、擬似的にでも先輩と抱き合えている事実に、どうしようもなく安心している自分がいて、ああ本当に。

「……ねえビームくん。……私と付き合うんだったら、私の言うこと、全部聞かなきゃいけないよ。絶対服従で、ただでさえない自由がもっと無くなっちゃうんだよ。……それでも、いいの?」

「あ……ギャ……聞くっ、聞くっ、チェンソー様と、フクタイチョーの言うこと、ゼッタイ!」

「……そっか」

「キャキャ……好き、好き、超好き……」

 ビームくんは死にたいくらいに沈んでいる私の感情を無視してあまりに無邪気な好意ばかりをぶつけてくるので、私はいよいよ本当に喉をかきむしって死んでしまいたくなった。

← 小説一覧へ戻る