← 一覧へもどる 常温保存

 デビルハンターはパトロールの多い仕事柄外食派が圧倒的に多いけど、それでも一定数お弁当派の人間もいる。アレルギーだったり金銭的な事情だったりで理由はそれぞれだけれど、そんな人たちのために公安本部にも一応は小さいなりに給湯室があって、毎朝そこにお弁当を預けて、昼休みに取りに来るスタイルが定着していた。

 かくいう私もそのお弁当派の一人だ。理由は、酷い偏食。外食だとバディに気を遣わせてしまうから、それが嫌で自分で作って持ってくるようになった。


 今日は午前中だけで2体も悪魔を処理して疲れたので、少しだけ早いお昼休み。

 元来外食派のバディとは本部の前で別れたので、昼休憩が終わり次第同じ場所で再会する予定。

「一人で気兼ねなくご飯を食べようと思ってたんだけどなあ」

 私は本部の庭にあるベンチに座り、自前のお弁当箱のふたを開けながら——私の真隣にどかっと腰を下ろした悪魔を静かに観察していた。

 パワーちゃんだった。

 血の魔人のパワーちゃん。

 肩のあたりで無造作に揺れる金髪。長い前髪の隙間から覗く、少し釣り気味の瞳。いつも生えてる二本の真っすぐな角に加えて、水牛の角みたいな、直角に上に曲がったのが側頭部から生えている。そのせいでなんだかいつもよりも印象がいかつい。

 ええと、なんとなく話は聞いてるけど……血の飲みすぎとかで、今はマキマさんに血抜きをしてもらってる最中なんだっけ。それでこんな時間に、デンジくんも連れずにたった一人で本部に居るわけだ。

 パワーちゃんは見た目だけを切り取れば映画やドラマの中から飛び出したようなえらく印象的な顔立ちをしている。

 わたしより背がうんと高くて、手足もすら~っと長い。それなのに不思議と「大きい」という感じはしなくて、それはきっとモデル顔負けの小さなお顔の輪郭のお陰だ。……見た目だけは、本当に、いいんだけどなぁ。問題は性格というか、素行というか。


 そんなパワーちゃんが今、私の真横に座って、私の弁当箱を眺めていて。


 うーん。なんだか狙われちゃってるみたいだ。これまでの経験則でそう思う。この目は知っている。何かを狙っているときのおめめだって。

「……ねえ、パワーちゃん」

「なんじゃ」

「何か用事があって来たの? お昼ご飯は?」

「ない」

「ない? もしかして、貰えてないの?」

「犬の餌のように粗末なものを毎日出されておる」

 パワーちゃんはふんと鼻を鳴らした。

「それって本部のご飯のこと? だめだよ、作ってもらってるものに犬の餌だなんて」

「チョンマゲの飯に比べれば実に貧相なもんじゃ!」

「それは、そうなのかもしれないけど……」

 そこで彼女の目線がすっと、私の弁当の中の一角に向く。

 視線の先には——唐揚げがあった。


 今日のお弁当は、自分でもかなり気合を入れて作ったものだ。

 前の夜から漬け込んで、衣はちゃんと二度揚げした。四つある。自分で言うのも何だけど、かなりいい仕上がりだと思う。

「……」

「……パワーちゃん?」

 パワーちゃんの視線が唐揚げに釘付けになっている時間は、おそらく三秒ほどだった。彼女はゆっくり私の顔を見上げて——十字の入ったかわいいおめめと、ばっちり視線が合う。

「おい」

「う、うん」

「その唐揚げ」

「うん」

「ワシのじゃないか?」

「わあ」

 う~ん、見事に予想通りだなあ。

 少し間を置いてから、静かに返事を返した。

「そうなの?」

「そうじゃああ!」

 私の相槌を聞いたパワーちゃんは一転勢いよく声を上げる。

「先週から! ワシが! じっくり仕込んでおいた唐揚げじゃ! 無いと思ったらこんなところにあったとはのぉ~……!」

「パワーちゃんが唐揚げを仕込んだの?」

「そうじゃ! この盗っ人め!」

「一週間も経ってたら腐ると思うけどなあ」

「なにおおおお! ワシの仕込んだ唐揚げが一週間程度で腐るものか! そんじょそこらの唐揚げと一緒にするな! ワシが作った唐揚げは一年は腐らん! ……とにかく、それはワシのじゃ! 返せ盗っ人!」

 それってどんな唐揚げだ。

 パワーちゃんは言葉の勢い一本だけで迫ってくるから、思わず、ちょっと笑いそうになる。やられてることはただのオカズ強盗なんだけど。

「はいはい」

 私は、半笑いなのを隠そうともせずに言った。

「それじゃあ、半分こしようね」

「……半分こ、じゃと?」

「二つあげるよ。その代わり、私にも二つは食べさせて。それでいい?」

 パワーちゃんは少しの間、何かを考えるような顔をした。私としてもちょっと賭けだった。パワーちゃんには自分の嘘を本当だと思い込んで、本気でキレてくるというとんでもない悪癖がある。

 今回要求されてるのは「唐揚げを返せ」だし、であれば、彼女の認識の中では、唐揚げは全部彼女のモノな訳で。盗人猛々しい~って、ますます怒られちゃったりするかもしれない。

「……ふん」

 でもパワーちゃんは、鼻を鳴らして視線を逸らしただけだった。ちらちらと当たる木漏れ日が金髪をまばゆいくらいに輝かせる。

「まあ、ワシは寛大じゃからのう。ヌシがどうしてもというなら、別に半分はくれてやっても構わんが」

「うん、ありがとう」

「おう、ワシにもっと感謝せい!」

「はいはい、ありがとうございます」

 少し考えて唐揚げを二つ、お弁当の蓋に避けた。

「おい、その卵焼きも一つよこせ!」

 ああ、どこまで行っても図々しい。仕方がないので、二つある卵焼きの片っぽも一緒にのける。

「あ。でもお箸が無いけど、どうする? 給湯室から割り箸持ってこようか」

 と聞くと、パワーちゃんは心底馬鹿にしたようにで笑った。

「ハッ。ウヌがちんたら箸を取りにいくのをいちいち待っていられるか。そういう時はのう、こうすればいいんじゃ」

 どうするのかと思ったら、パワーちゃんはそのままぱかりと口を開けた。ん、ん、と指で自分の口を指さしている——ええと、どうやら「お前が食べさせろ」という事らしい。

「もう、パワーちゃんってば、かわいいなあ」

 そういうところ、本当に可愛いと思う。

 ちょっと悩んでから、まずは出来が良い方の唐揚げを口元に運んであげる。結構大きいからどうだろうと思ったけど、パワーちゃんは一口でそれを平らげた。

「んぐ、なかなかの仕上がりじゃのう!次は8個揚げてこい!」

「あは、それは光栄です」

 さっきまでの「一週間前にワシが仕込んだ唐揚げ」って設定はどこに行ったのさ。

 頬っぺたいっぱいに含んだ唐揚げをもむもむと咀嚼するパワーちゃんの横顔を見ながら、私もお米を一口食べる。

 わりと、いい昼だな、と思った。


[newpage]


 まあ、いい昼だなあとは、思ったけれどもさ。

 それがほとんど毎日続くとなると、それはそれでまた話が違うんじゃないか。


 何かにつけてパワーちゃんは私の前に現れた。

 私が弁当を広げていればいつのまにやら隣に座り、給湯室でコーヒーを淹れていれば「ワシにも寄越せ」と言い(どうせ飲んだらドブだのなんだのってゲロるくせにね)、間食のチョコレートを出せば「それワシのじゃないか?」と主張した。

 私は割とそれをかわいいな~と思ってしまう人間なので、そのたびに「はいはい」と言って半分渡したり、あるいは全部あげちゃったり、本当に取られたくないものであればこっそり別のランチボックスに隠しておいたり。

 懐かれていることに不快感はなかったし、むしろ嬉しかったといってもいいけど……とはいったって、二人分のご飯を用意するのはちょっと大変で。文句を言わずに毎日三人分のご飯を作ってるアキくんって、実は相当すごいかも。今度、褒めてあげよう。



 昼過ぎ、中庭に二人きりのときだった。

 デザートのシュークリームを食べながら翌日の任務の書類を確認していると、隣のパワーちゃんがしばらくの間じっと私を見ていることに気が付いた。

「……さっきパワーちゃんの分はあげたでしょ? これはダメだよ」

 最近はパワーちゃんが近寄ってくるというのが分かっているから、あらかじめデザートやおかずを二人分用意している。

「違うわ! ワシを食いしん坊だと馬鹿にしておるのか!」

 だって実際そうじゃん、毎日毎日お弁当強奪しに来てるんだしさ。思ったけど、言わない。

「ごめんごめん」

「ふん」

 とりあえず、違うようなので書類に目を落とす。

 そしてまた視線を感じる。

「……やっぱり欲しいんじゃないの? いいよ、一口だけなら分けても……」

「バカにするなあああ!」

 じゃあ見ないでよ、とは言わない。というか言えない。ますます怒らせてしまうのが目に見えているから。


 そんなやり取りを三回繰り返したところで、パワーちゃんがとうとう怒ったように「んがあああ!」と叫んで、私のお膝の上に倒れ込んできた。元気だ。膝の上からこぼれた金髪が地面につきそうだったので、軽く手櫛で整えてあげる。

「んふふ……いいぞ、もっと撫でろ!」

「はいはい」

 少しだけ爪を立てて頭皮の地肌を撫でると、パワーちゃんはくすぐったそうにくすくす笑った。怒ったり笑ったり、忙しない子だ。書類を置いてワシワシと頭を撫でる。

「……それで、なぁに? なにか言いたいことがあるんでしょ?」

 まさかこうして撫でられたかっただけ、ってことはないだろうし。

「んふ……少し、言っておきたいことがあっての」

 珍しい言い方だった。

 パワーちゃんは珍しく真剣な顔をしている。あんまり、彼女が改まって切り出す話題が、ロクなことって気はしないけど。

 「もちろん」

お顔が見やすいように長い前髪を上側に撫でつける。でこ出しパワーちゃん。ちょっと子供っぽくて、かわいい。

「どうしたの?」

 パワーちゃんは倒れ込んだまま腕を組んで、わずかに首を傾けた。何かを確かめるように私の顔を見てから、少しだけ間を置いて言った。

「ウヌのことを、ここ最近ずっと考えておった」

「私のこと?」

「うむ。貴様はこのパワーのことが大好きじゃろ」

「ふふ。まあ、否定はしないね」

 なんともまあ、すごい自信だ。日本人に必要なものをパワーちゃんは全部持ってるなあと思う。自信と強引さ、自分に対する信頼。それはそれとして、パワーちゃんに必要なものもすっごく多いけど。

「それでのう」

「うん」

「そんなにワシのことが好きなら」

 少しだけ間が空く。

 いっつも私のことを真っすぐ見つめてくるパワーちゃんの目が、恥ずかしそうに逸らされる。

「付き合ってやっても、いいぞ」

 沈黙が流れた。


 小鳥がさえずっている。鳩がくるぽっている。遠くで誰かが電話している声が聞こえる。

 えっと。

 まず状況を整理しよう。パワーちゃんが、私に告白——というか、かなり一方的な形で「付き合ってやってもいいぞ」と宣言していて?

 私がパワーちゃんのことを好きだという前提で。冗談か私をからかおうとしているのかとも思ったが、この照れ方はどうやら本気っぽい。マジな奴だ、多分。


 ……ここで大変、問題なことに、私には彼氏がいる。

 それも、付き合って三年目で、結婚を見据えた相手が。


「え~~っとねぇ……」

 どう言えばいいか一瞬本気で迷った。

 まさかこういう展開になるとは夢にも思わなかったのだ。だって女の子同士だし、相手は魔人だし。これが例えばデンジくん相手なら、私だってこんなに甘々にはしない。でも、そっか、私ってパワーちゃんの恋愛対象だったんだ……まず、そこから意外だし。

 とはいえ、ここで曖昧にするのは逆に失礼だと思った。パワーちゃんなりに何かを決意して、こうして気持ちを打ち明けてくれたんだろうし。

「あのね、パワーちゃん」

「おう、なんじゃなんじゃ! 嬉しくて言葉も出んか!」

「えっと、そう提案してもらえるのはとっても嬉しいし、光栄だとも思うけど。……私、彼氏が居てさ」

 今度の沈黙は、長かった。

 パワーちゃんの顔がゆっくりと変わっていく。堂々とした表情が、まず「え」になり、それから「え?」になり、それから——

「か、彼氏が居る……!!??!」

 静かな響きだけど、そこそこの声量だった。小鳥が飛び立っていく。鳩がくるぽるのを辞める。

「な、なんじゃと!? 彼氏がいる、じゃと???!!??」

「パワーちゃん、声が」

「う、ヌシは……ワシというものがありながら男を作るとは……!!」

「いや、ちょっと待っ」

「まったく!」

 パワーちゃんは私の言葉を遮るように叫ぶ。

「ウヌはダメ彼女じゃ! ワシの彼女失格じゃ!」

 予想のはるか上を来た。そもそも彼女になった覚えはない。

「えっと、ごめん……?」

 けれど、いつもの癖でつい謝ってしまう。

『その唐揚げ、ワシのじゃないか? 返せ!』『はいはい、ごめんごめん』『おい! ウヌのカルボナーラの方がベーコンが多いぞ! 交換しろ!』『どっちも一緒だってば』『なにをおおお!』『分かったよ、ごめんって』……そのノリだ。

 いや、多分、とは言ったってこれだけは飲みこんじゃだめなんだけど、お思わず勢いに負けて謝ってしまった。

 私ってアメリカ社会で生きて行けないだろうな。


「ふん、これは謝って済む問題ではないが、そうじゃのう……」

 パワーちゃんはふんふんと鼻息荒く腕を組みなおして、何事かを一人で考えている。どうやら、私の処遇を考えているらしい。

「ワシは本来、浮気に厳しいんじゃが」

「えっと、うん」

「今回だけは許してやるわ!」

「……???」

「明日までに別れてこい!」

「……へぇっ!?」

 そうしてパワーちゃんは勢いよく立ち上がり、「絶対にじゃぞ! ワシは不埒は許さんからな!」と歩き去って行った。

 ハッとして時計を見ると、もうお昼休みの時間をかなり過ぎている。

 ああ、やっちゃった。ゆっくりと考える暇もなく慌てて書類を纏めて、いつものバディとの待ち合わせ場所に走る。

 一人待ちぼうけを食らっていたバディは、「お前もいい大人なんだから、そろそろ偏食直して外食派になれって」と、少しだけ怒っていた。


[newpage]


 非常事態だから相談に乗ってくれ、と呼び出したカフェの中で、アキくんは呆れた顔でため息をついている。

「諦めろ」

「諦めろ!?」

「もうそうなったら手遅れだ。パワーの中で歴史が修正されてるだろうから、どれだけ言っても意味がない」

「そんな殺生な~……」

「というか、適当に流すお前側にも問題があるだろ、今回の場合は」

 それはそうなんだけどさあ。

「まあ、最悪は一週間程度放置しておけば何とかなる」

「え、なんで」

「自分で自分の設定を忘れるからだ」

「ほええ」

「本気で困ったら一週間休め、それで何とかなるから」

「そんな馬鹿なことある?」

「ある」

 言い切るアキくんの口調によどみはない。コーヒーを一口含む縋らに「アキくんはドブだ泥水だってコーヒーを吐き出さなくて偉いね」と思ったことを率直に言葉にしたら、「バカにしてるのか」きっ、と睨まれた。そんなつもりはなかったんだけどな。

「……でも、どっこいどっこいだろ」

「何が?」

「今の恋人と続けるにしても、パワーと付き合うにしても」

「ほああ」

 思わず変な声で笑ってしまった。

「なに、アキくんまでそんな馬鹿な……」

「別にお前を困らせたくて冗談を言ってるわけじゃない」

 アキくんの鋭い切れ長の目が私の手首に——というより、袖と、その中の肌に向けられる。一瞬だけ。でも確かに向けられたのが分かった。

 何となくテーブルの下で手を重ねる。少し居心地が悪い、

「んー……別に。今の彼氏とは、まあまあ円満に出来てると思ってるけど……」

 アキくんはしばらく何も言わなかった。コーヒーカップに視線を落として、それから静かに言う。

「……へえ」

まるで品定めされてるような気分だ。なんだろう。私が悪いってわけじゃないんだけど、なんでこんなに居心地が悪くなるんだろう。

「……やっぱり撤回するぜ、さっきの言葉」

「え。な、なに」

「今のお前の彼氏よりパワーの方が数倍マシだって」

「えっ!?」

「見るからにバカな分、まだいくらかはタチが良い」

「なにそれ……」

 怒るべきなのか、笑えばいいのか、分からない。とにかく、けなされていることは確かだけど、

「公安一の悪魔嫌いの君がそんなこと言う? 私の彼氏は悪魔か何かですか」

「同じようなもんだろ」

「うへえ」

 アキくんはそれ以上何も言わなかった。ただ、私が手をテーブルの上に戻したとき、その袖口をちらりと見た——ような気がした。それはもしかしたら気のせいか、被害妄想かもしれない。


 なんとなく喉を通らなくなって、机の上で放置されたコーヒーが冷めていく。

 窓の外を、スーツ姿の人たちが行き交う。

 私は逃げていく温もりを押しとどめるようにカップを両手で包んで、「まあ、うまくやるよ」とだけ言った。

 アキくんは返事をしなかった。


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 「うまくやる」っていうのがどういう意味なのか、どうするのが「うまくやる」方法なのか、私自身、たぶん、よく分かっていなかった。

 先述のとおり、彼氏とは付き合って三年になる。

 出会ったころはよかった。少なくとも私はそう思っていた。

 食の好みを合わせてくれた。偏食を笑わなかった。私が「これが好き」と言えば次のデートで用意しておいてくれた。

 それがいつからこういう風に変わったのか、今となっては分からない。気がついたら変わっていた。


 ……というよりたぶん、少しずつだったから気がつかなかっただけで、最初から、あんまり、良い男の人じゃなかったのかもしれない。


 最初に手を挙げられたのは一年目の秋だった。

 私の帰りが遅くなった夜のことで、彼はひどく怒っていて、気がついたら頬に衝撃があった。その後は大泣きしながら謝り倒してきて、私はなんとなく、その謝り方があんまりに必死だったから、許してしまった。

 もうしない、と言っていたし、事実、しなかった。一ヶ月は。

 そういうことが何度かあって、途中からは数えるのをやめた。数えると、なんか、色々と直視しなきゃいけなくなる気がして。

 でも、これが不思議なことに、私はそれでも、「別れる」という選択肢に、なかなかたどり着けなかった。

 誰かに求められることが嬉しかったのかな? う~ん……自分でもよく分からない。

 元から、人に求められることを断れない性格なのだ。

 自分に価値があるとは思えないから。これを寄越せと言われたら差し出してしまうし、私を求めてくれる人のことを、かわいいと思ってしまう。たとえそれが歪んだ形であっても。

 人の役に立ちたい、世話を焼きたい、必要とされたい。

 生まれたときからそうなのだ。そういう性質なんだから、直せと言われたって直しようがない。宿痾みたいなものだ。

 だから、どれだけ関係性が拗れてしまっても、彼のことを拒絶できなかった。

 ぶたれても、罵られても、夜中に起こされても、嫌だと言えることもあったけれど、最終的にはいつも飲み込んだ。別にどっちだって良かった。殴られようがなんだろうがなんだっていい。殴られたところで、破損するほど自分に元々の価値があるとも思えないし……。


 だから、昨日のことも、まあしょうがない。


「ねえ、私たちって分かれた方が良いのかな?」


 ふとした思い付きを私が口に出したせいで、激しい口論になった。彼氏が激昂して、気がついたら頬に熱があって。

 気がついたら彼は別の部屋に行っていた。鏡を見たら、うっすらと赤みが残っていた。打ち身というほどでもない。痣になるかならないかくらいの、本当にうっすらとした赤み。

 実際、コンシーラーを叩いて、ファンデーションを重ねたら、ほとんど分からなくなる程度の。あちゃあとは思ったけど、でもまあ、どうにかなったし。

 そう思って、いつも通り出勤した。











「血の匂いがする」

 私のお弁当箱を覗き込んでいたパワーちゃんが、唐突に顔を上げてそう言った。

 お昼前中庭だった。ベンチに並んで座って、私の少しだけ大きくなったお弁当箱を二人で開封しているいつも通りの時間。

 いつも通り……の、はずだったのに、パワーちゃんが急にすんすんと鼻を鳴らして、そう言ったのだ。

「何が? 何処も切ったり擦りむいたりしてないはずだけどなぁ……」

「ウヌの頬から血の匂いがする」

「……えっ。……あ、まさか内出血!?」

 そんなことまでバレるのか。いくら血の魔人とはいっても、そこまで鼻が良いとは思わなかった。やだ、バレたときのこと全然考えてなかったな。

 目に見えて動揺したのが悪かったのかもしれない。次の瞬間には、パワーちゃんの手が伸びてきていた。

「ちょ、ちょっとパワーちゃん」

「じっとしていろ」

 親指の腹でぐりぐりと頬をこすられる。コンシーラーと、ファンデーションと。丁寧に重ねたものが、あっさりとひっぺがされていく。

「……」

 パワーちゃんが私の顔を覗き込む。その表情がいつもとまったく違う。笑ってない。……別段パワーちゃんが普段からへらへらしてるってわけでもないんだけど、いつもより、なんていうんだろう。

 ……顔が怖い。とっても真剣な、そんな表情をしている。

「何があった」

「んう、ちょっと戦闘でね」

「昨日退勤したときにはなかったじゃろ」

「あ……」

……随分正確に見ている。私はと言えば、見られていたことにすら気が付いていなかった。

「ウヌは仕事終わりにも悪魔と戦っておるのか?」

「……んやあ、これが恥ずかしいことに道で転んじゃって……」

「ならなぜ悪魔との戦闘などと嘘をついた」

 詰問するような声ではなかった。それが逆に、答えにさを増していた。なんだかパワーちゃんが妙に大人びて見える。

「それは……」

「何があった」

 もう一度同じ言葉を繰り返す。

 私の顎を指で軽く掴む。逃がさないようにというより、どこかに行かないように、そんな優しい加減で。ああ、だめだなあ、女の子同士なんだけど、ちょっとドキっとしちゃうよ。

 じい、と顔を覗き込まれて、「う」と情けない声が出た。近くで見ると、パワーちゃんのお顔は本当に綺麗だ。

「ちょっといろいろあってね」

「相手は人間か」

 なんでこんな時だけこんなに鋭いんだろう、この子は。

「まあまあ……」

「人間なんじゃな」

「……」

 嘘をつきたい訳ではないから、図星を突かれて返事が出来なくなる。

「誰じゃ。ワシが殺してやる、言え」

「殺すなら言えないよ」

「つべこべいうな! ワシのモノにこんなことをした人間は、殺さぬにしても一発殴り返さねば気が済まん!」

「……へえっ?」

 ワシのって。びっくりして大きな声が出た。

 けれど私の動揺も意に介さず、パワーちゃんはふんぞり返っている。

「そうじゃろ? ウヌはワシの彼女、じゃ」

 すごく当然のことを言うみたいにパワーちゃんは言い切る。自信満々だ。いつだってそう。

「……まさか、忘れていたわけではあるまいな」

「……ふふ、うん、忘れてたわけじゃないけど……」

 あんまり当然のことみたいに言うから、ちょっとだけ笑ってしまった。

 笑ったら失礼だと思って堪えるけど、でもやっぱり堪えられなくて、感情の混じった変な顔になっていると思う。

「うん……うん、そうだね。そういえばそうだった……」

「そうじゃろ! まったく、ワシの彼女ともあろう者が! 理不尽に殴られたときはすぐに言え! 倍にして返してやるからのう!」

「パワーちゃん」

「なんじゃ」

「人を殺しちゃダメだよ」

「分かっておる! そうじゃのう、顔面パンチ百発程度で留めてやるわ」

「そんなことしたら死んじゃうよ」

 全然分かってない。


 顎を掴んでいたパワーちゃんの手が、そのまま私の頬へと移動する。内出血の跡のあたりをそっと撫でた。不思議と痛くなかった。

「……なんにしても、次は言え。すぐに言え」

「……うん」

「約束じゃぞ。下らない嘘はつくな」

 それ、君が言うセリフなの。

 くすくす笑って、でも、「うん」と頷く。パワーちゃんはそれ以上は何も言わなかった。私の顔から手を放して、「当然のことじゃが、念のためにt」とつぶやいて、そっぽを向いた。その耳が。ほんのり赤かった。

「……パワーちゃん」

「なっ、なんじゃ」

 今度は私がパワーちゃんの頬っぺたに手を伸ばす番。「ぎゃ」色気が無い声を上げてのけぞろうとする彼女の顔を捕まえて、そのまま引き寄せる。

「だって、私はパワーちゃんの彼女なんでしょ」

 ——ちゅ、というリップ音がしたのは、パワーちゃんがまんざらでもなさそうに唇を尖らせたから。


Here’s looking at you.

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