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 玄関の鍵がやけにもたもたと開く音がした。

 時計を確認するともう日付線をとっくに超えている。「先輩たちと飯行ってくる」と出かけていったデンジくんが、連絡もなしにこんな時間まで帰ってこないのはかなり珍しかった。少し前から心配しはじめていたのも泡って、慌てて廊下に出て玄関の方を見る。

 それとほとんど同じタイミングで、がちゃ、と扉が開いて……ええと、それで。

「……あ、ただいまァ〜……」

 そこには確かにデンジくんがいた。玄関先で、文字通り這いつくばっている状態で、だけれど。

「ただいまじゃないよ。なんですか、そのだらしないお姿は」

 思わず駆け寄るとデンジくんは顔を上げて私を見つめる。眼帯の下から覗く瞳がとろんとして、焦点がどこか遠くに合っている。頬がほんのり赤い。口元がゆるゆるに緩んでいる。

「おお……見事に仕上がってるね」

「んあ〜……ねみ〜……水、水……」

 ……完全に酔ってるなあ、しかも相当。

 これはかなり、珍しいことだ。

 デンジくんが本格的にお酒を飲むところを、私はほとんど見たことがなかった。「その金で飯食った方がいい」というのが彼のいつもの言い分で、飲み会があってもジュースかお茶で済ませていることの方が多かったから……こんな状態のデンジくんを見るのは、あるいは初めてかもしれない。

「もう、ほら。立てる?」

「……たてにゃい……」

「じゃあおてて貸してください」

「ふぁ〜い……」

 靴を脱がせて、手を引いて、それでも足がふにゃふにゃで全然役に立たないので、半分抱えるようにして廊下を歩かせた。デンジくんは私よりずっと背が高くて、最近はますますがっしりしてきたのもあって、全体的にずっっっっしりとくる。「んしょ、んしょ」。踏ん張りながら、なんとかリビングのソファまで引っ張り込んだ。

「うあ〜……ふかふか……」

 ソファに沈み込んだデンジくんが、幸せそうに呟いた。なんてだらしのない顔。かわいいね。

「ほら、ちゃんと座って」

「んぅー……」

 抵抗なくされるがままになっているデンジくんの腕を引っ張ってどうにかちゃんと座らせて、隣に腰を下ろした。近くで見ると顔がじんわり赤い。耳も赤い。眼帯の縁まで赤い。

 なんだ、もう、本当にかわいいじゃないか。

 思ってしまってから、自分でちょっと笑えてきた。もう20歳もこえていい歳だって言うのに、なんにもできないでへにゃっとしてるデンジくんのことをどうしようもなくかわいいと思ってしまう自分のことが、少しだけおかしかった。

「おいで」

 そのまま、引き寄せて抱きしめる。デンジくんはされるがままに私の胸に頭を預けて、「んあ〜……」と子どもみたいな声を出した。髪を撫でてやると、目を細めて、何かを言おうとして、でもまた黙った。きっと頭が回っていないんだろうなあ、と思う。

「よしよし、いーこいーこ」

「ふへへぇ」

 その笑い方がいつもより力が抜けていて、なんだか妙に愛おしさが募る。普段のデンジくんは(まあ確かにおちゃらけて真剣になることの少ない男の子なんだけど)、なんやかんやで私にかっこいいところを見せたいという気持ちがあるのか、こういうふうにただ重力に従ってへにゃっとしているところはあんまり見せてくれない。

「つめたいお水飲もう? 今持ってくるから、ちょっと待ってね」

 そうして私が離れると、デンジくんはまたぽふ、とベットに倒れ込む。こらっ!

 冷蔵庫からペットボトルを持ってきて、デンジくんに差し出す。そうして……受け取ってもらった、は、いいものの。

 当然、酔っ払ったデンジくんには一連の動作がおぼつかず、キャップを開けようとした段階でもう手が滑って、ぽとりとペットボトルを落とした。

「……あ」

「あらら」

 拾って、キャップを開けて、もう一度手渡す。デンジくんはふらふらしながらペットボトルを傾けたけれど、口に当てる角度がうまくいかないのか、水がバシャバシャ零れた。ソファに大きなシミができる。

「飲めない?」

「んぅ……飲めね〜……」

 もう、かわいい。

 どうしようね、デンジくんが50代のハゲジジイになっても、私がまだデンジくんのことをかわいいかわいいって甘やかしちゃってたら。

「しょうがないにゃ〜。デンジくん、お口開けてください」

「んあ!」

 ペットボトルを受け取って、少し含んで、デンジくんの顔を覗き込んだ。デンジくん妙に元気のいい声をあげてぱっかーん、と歯科検診ばりに口を開ける。ツンツンの歯を撫でて、ちょっと開きすぎだから、顎を持って閉じてあげて。

 そっと口移しで、お水を飲ませてあげた。

 デンジくんもそうして貰えるのが分かってたみたいで、すぐに大人しく受け入れてくれる。こくりと飲み込んで、また口を開けて。

「ん〜〜、もっと……」

「はいはい」

 そんなことを何度か繰り返した。

 その都度デンジくんが素直に「もっと」とぽっかり口を開けるのが、なんかもう全部かわいくて笑えてきた。こういう素直さは普段からそんなに変わらないといえば変わらないんだけど。今日は特に全部の力が抜けているから。

 結局ペットボトルが空になるまでそんな口移しをして、2本目も用意してあげるから考えているさ中。

「ふくたいちょ……」

 腕を引かれる。

「なあに」

「あたまぁ……いたい……」

「あらら」

 まあ、これだけ酔っ払った様子だったらそりゃそうだよね。頭を撫でながら、少し心配になってきた。

「飲みすぎちゃった?どれくらい飲んだの?」

 デンジくんは少し考えて、指を折った。

「日本酒……ろくごー、くらい……」

「六合!?行ったねぇ!?」

 普段は相当飲んでも三合なのに。六合、一升瓶の半分以上じゃないか。何があったんだろう、飲み会で──そこまで考えてから、今日は「先輩」の中に姫野先輩がいた事を思い出す。

 だいたいお察しだ、その時点で。

「もう、明日の朝先輩に私からメッ、って言っておくね」

「んぅうう……」

 というか、六合飲んでこの程度で済んでるの? 結構お酒飲めるのかな、飲まないだけで……いやでもこの状態がこの程度って言えるかどうかも怪しいんだけど。私だったら、とっくにアルコール中毒で死んでる。

 焦りつつも背中をさすってやると、デンジくんがのろのろと体を丸める。あらら、これは。

「う……ちょっと、きもちわるい……」

「御手洗行く?」

「いくぅ……」

 また半分抱えて、ずるずるとトイレに連れて行った。洗面台の前にしゃがませて、背中をさすった。デンジくんは少し時間をかけて、それからきっちり吐いた。

 吐いた後、げっそりした顔で私を見た。

「きもちわるいぃ……」

「だろうね。うがいしよう、うがい」

 そうして背筋と手だけを伸ばして、洗面所のコップに水を汲んで、差し出した瞬間。

「んむぐっ!?」

 振り向きざまのデンジくんに口をふさがれた。

 べ、べろちゅーだ。

 ……ゲロ吐いた後のべろちゅーだ!!!すっぱい、にがい、生臭いしきもちわるい!!

 必死にじたじた暴れれば暴れるほどデンジくんはやけになって吸い付いてきて、私の唾液を奪っていく。

 そうしてしばらくポカポカ殴られること数分。

 私がとうとう抵抗するのを諦めたあたりでようやく、満足そうに唇を離して、ふへへと笑った。

「ふへへ、ゲロキスだ、ゲロキス……」

「んにゃ〜! 流石にきもちわるい! やめて!」

「ふへへへへ……」

 なんかすごく楽しそうなのがイラッとするというか、そんな所もかわいいと思えちゃうのが我ながら笑えるというか。もう、どんだけ可愛さを感じてるんだデンジくんに、私は……。

 諸々の不快感に顔をしかめながらコップを突き出す。

「ほら、一緒にうがいしっ、んむっ!」

 言ったそばからまたされた。こ、こ、こいつ!

 咄嗟に押しのける。またゲロキスをされる。ちゃんとうがいをさせようとする私と、口を塞ぎにくるデンジくんのせめぎ合いになって、最終的にまたべろちゅーして、流石に少し怒った。

「ねえいい加減に怒るよ!?」

 って言ったら、デンジくんはへらへらと笑った。どうせ怒られることなんてないって、確信してそうな顔だった。

 なんとかお互いうがいを済ませて、洗面所の床に並んで座る。私も夜中まで起きてて眠たいところに妙な取っ組み合いをして、ちょっとだけ疲れた。追い打ちをかけるようにデンジくんが体重をかけてもたれかかってくる。おもい。

「なー、ふくたいちょ」

「なあに」

「えっちしたい」

 あ、そういうこと言い出す段階に来たか。……ちょっと調子に乗りすぎてる。ちゃんとめっ、しないとダメかもしれない。

「だめ」

「えっち……」

「だめだってば。しないよ」

「なんで」

「今えっちしたらその揺れで絶対またゲロるでしょ」

「んでも、したい……」

 こてん、と頭を私の肩に乗せて、甘えた声で言う。前髪越しでも分かるくらいとろんとした目で上目遣いにこちらを見てくる。

 う。

 か、かわいいな。

 ずるいな。

 絶対この顔をされると私が弱いって分かってやってるから、ほんとにずるいな。

 でもだめ。えっちはしない。

「そんな可愛い顔でおねだりしてもだめです。ねんねしなちゃい」

「ううう〜〜……」

「うううじゃない。ほら立って、べっと行こう」

 また抱えてずるずるずると引っ張って寝室に連れて行って、どうにかベッドに転がした。三回も重たい運搬をして副隊長さんはもうへとへとです。

 デンジくんはふかふかのシーツに包まれて、すぐにどこかほやほやした顔になった。

「……ふくたいちょ」

「なあに」

「いっしょにねて」

「言われなくても一緒に寝るよ、いつもそうしてるでしょ」

「んう」

 言いながら隣に潜り込む。デンジくんがすぐに腕を伸ばして、私の体を引き寄せた。そのまま胸のあたりに顔をうずめて、深く息を吸う。

「……げろくさかったら、ごめん……」

「うがいしたから大丈夫だよ。……ゲロ臭くても好きだし、デンジくんのこと」

「よかった」

 ほっとしたような声で言って、そのまましばらく黙った。そのうちに、規則的な寝息が聞こえてきた。デンジくんの寝つきは酔っ払ってなくても早くって、いつだって子どもみたいにあっという間に寝てしまう。私は不眠の気質のある人間だから、それがかなり羨ましい。

 暗い天井を見上げながらデンジくんの背中に手を置いた。

 起伏に合わせて上下する。ゆっくりと規則正しく。明日の朝は絶対頭痛いんだろうな。二日酔い、したことあったっけ。記憶の限りだとないけど……もしそうだったら、はじめての感覚にびっくりしちゃって大変だろうし、スポーツドリンク買っておいてあげようかな。もしも今夜も眠れなかったら──。

 そんな考えを裏切るように、私にもだんだん眠気がやってくる。

「……おやすみ、デンジくん。いい夢見てね」

 デンジくんの体温は高くって、抱きしめているとあったかい。

* * *

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